2006-09-30

尹良親王にちなんだ地名と浪合ご陵墓の写真

ikuyosisinougoryoubo.jpg今日は尹良親王のご陵墓がある浪合の観光案内がある日で、昨日、南信濃に仕事で行ってあちらこちら歩き回って疲れてしまったので寝坊してしまい、ブログの更新ができないまま出発時刻となり今頃(15:00)書くことになりました。
前にも書きましたが、水窪の郷土研究家の加藤定義先生から教えていただいた折、この地名の由来については、水窪町史上巻に書いてあると教わり調べましたところ、水窪町を京都に見立て、数々の地名が今でも残っていて、今の小畑は御幡、大里は内裏、あしよう島、こん所、まん所、桃平、大津当等いくつもあり、のんびりと歩かれると良いと思います。なお、この尹良親王については、多くの歴史家から実在しなかったのではないかとの研究結果も出されているのですが、今日浪合村の元教育長、塩沢先生のお話ではこの点について、遠い過去の話であり、幾多の研究では尹良親王ではないかもしれないが、お名前不詳の宮様がこの地で命を落としたことは書かれており、浪合の住民は600年も前から尹良親王のお墓として守ってきたのであり、こうして、宮内庁のお墨付きももらいこれからも大事にお守りしていきたいと言うようなお話をしておられました。レコーダーを持って行きませんでしたので記憶で書いていますが大意はこのようなことだったと思います。今日の写真は、行く由親王のご陵墓の写真です。

2006-09-29

水窪町が元気になるための下條村の事例ご紹介ブログ

全国の市町村のおかれた状況が一律ではないので、ある成功事例をとってすべてに適用すると言うことは無理があると思いますが、このところは共通しているという点もあろうかと思い、今日は下條村に実際出向き、村長および村幹部と会談し、数字で下條村をご紹介しているブログがありましたので著作者のご了解を得て皆様にご紹介します。このつたないブログをお読みいただいている皆様の中にも過疎化、高齢化等でお悩みの皆様もいらっしゃると思いますのでご参考になると思います。予算の使い方、下水道の整備の仕方、村営住宅の考え方、政府の方針、時代の流れに流されない実情に合ったやり方。参考になるところが多いと思います。このブログには書いてありませんが、お聞きしたところでは、村長に就任した時、当時のお偉方にともかく現場に出ろということで出したところ、とてもやっていられないと辞任した人が出るくらい厳しい人ですが村民の人気は高い人です。

目黒川の畔にて、少子化対策への「選択と集中」

水窪歴史民族資料館有効利用方法ご提案と、国、郷土を愛する心

開館日が土、日、祝日と言うことで、ウィークデイには教育委員会に電話すれば、開けてくれると言うことですが、そんなことはどこにも書いてなく、私は1回目に行った時閉まっていたので、日を変えて日曜日に行きました。飯田から水窪町まで1時間半かかります。浜松市はこう言う施設に積極的でないのでしょうか。書いておいてくれたら無駄なガソリンと時間を使わずにすんだのです。

それと館の係員にお聞きしたら、前は常時開館していたそうですが、浜松市と合併してから開館日を少なくしたとのこと、過疎化対策が叫ばれている現在、この町から働く所が無く出て行った多くの人の中にはサービス業の人も多く、ウィークデイでなければ休めない人も結構いると思います。こういう歴史的な資料や、文化遺産を、小さい時から子供や孫に見せておくことは自分達のルーツを知らしめる上でもとても大事なことですから、国を愛する、郷土を愛する心云々言うのなら裁判所でさえ問題にした、第2次世界大戦の象徴であった、日の丸を拝ませたり君が代を歌わせるよりもはるかに大事なことだと思います。国や郷土を愛すると言うこは、まず郷土の歴史を知ることから始まりますから、そのためには、郷土の歴史に触れさせる機会を多く作ることが何より肝要だと思います。

いかにお金を掛けずにそれをやるかが改善、改革であって、これでは改善、改革ではなく手抜きそのものです。そして、水窪町出身の子孫に郷土を愛する心を育み、水窪町に関心を寄せてくれた貴重な人たちをガッカリさせないためにも郷土の歴史を集大成した歴史民族資料館の常時開館をぜひ実現しないと、この町の損失がより大きくなると思います。それに来年はどっと団塊の世代の人達がウィークデイに各地を回りますから、水窪出身の人たちはもちろん、そうでない人も水窪を訪れると思いますから、早急に検討されたらと思います。

この点長野県では今までご紹介した市町村では、人を置いているか、不在時にはここへ電話をくださいと言う掲示がしてあり、より多くの人に各地の郷土資料を解放しようとしていますし、写真も営利の目的でなければ撮影させてくれて歴史的資料の活用を推進しようとしています。水窪の人たちも浜松市に合併してしまったとは言え、大きいことは良いことだとばかりのことはありませんので自分達の地域活性化のためにどうすれば良いか提案していくことが大事だと思います。


常時開館するための方法ご提案
書いていて思い出しましたので、常時開館できるようになった事例をご紹介します。私は道の駅レポータとして各地を歩いていたのですが、長野県南部に平谷村と言う所がありまして、ここは、以前は、館内を見たい人は役場に電話をしてくださいと書いた紙が張ってあり、電話をして5分ぐらい待っていましたら役場の人が飛んできて、説明を聞きながら写真も撮らせてもらい満足して帰ってきたのですが、最近行って見ましたら、以前は別の所にあった商工会の事務所を、郷土資料館に移して、常時開館していて、家族連れの人たちで賑わっていました。同じようなことを水窪町でもやってもらえれば良いのではないかと思います。商工会でも、教育委員会でも、観光協会でも良いわけで、休日とか、特に説明して欲しいと言う時はボランティアの専門家に頼めばよいので、これならお金をかけず、子供の教育や、町を訪れた人々に対してのサービスができ町の活性化に、一番深いところから貢献できるのではないかと思います。

町の経済的活性化については、長野県の下條村では、自立の道を選ばれ、起債制限比率2.0%、実質公債費比率5.2%、生涯出生率は、直近の平成15年からの3カ年の数値では2.12人と言う所もあると、ブログサーフィンをしていて知りましたので一つの事例として明日ご紹介します。

とにかく英知を出して、農山村の維持を図らないと20年、30年先が非常に危険な状況になる可能性も有るとのことですから、今のうちから手を打っておいて欲しいと思います。以前お米不足となったとき、大慌てで、休耕田の再使用を検討しましたが、荒れきってしまったら開発に時間がかかると言うことと、農業後継者がいなくなってしまっていて、お米の作り方が忘れられてしまっているといった事態も予想されるのです。国家百年の計を考えるとはこう言うことも含めて考えることだと思いますがいかがなものでしょうか。

2006-09-28

もったいない水窪町民族資料館、年輪が美しいのは・・・、龍淵寺観音霊水が飯田市HPで

minzoku.jpgこの水窪町民族資料館、どこの資料館でも同じですが、その地方の歴史を歴代の郷土研究者の方々が蓄積してきたあらゆる方面の資料が展示されていて見ごたえがあります。これらの中で、私が特に感心しましたのは、巨大と言って良い程の大きな木が輪切りにされていて、その説明文に「年輪の美しいのは樹木の悩みの記録だからである。逃げも隠れもできない原野に立ちつくす孤独の中からふ屈の魂が樹相を形作るからである」と言う一文が添えられていました。樹齢130年とのことですが、130年でこんなに大きくなるのかと思いましたが、水窪町は長野県に比べると暖かいのですね。これらも写真でお見せできるといいのですが残念です。

龍淵寺様の観音霊水が飯田市の運営する南信州ナビに掲載されました。
龍淵寺様ホームページよりご覧ください。NEWマークよりおは入りいただけます。

水窪歴史民族資料館有効利用方法ご提案と、国、郷土を愛する心

開館日が土、日、祝日と言うことで、ウィークデイには教育委員会に電話すれば、開けてくれると言うことですが、そんなことはどこにも書いてなく、私は1回目に行った時閉まっていたので、日を変えて日曜日に行きました。飯田から水窪町まで1時間半かかります。浜松市はこう言う施設に積極的でないのでしょうか。書いておいてくれたら無駄なガソリンと時間を使わずにすんだのです。

それと館の係員にお聞きしたら、前は常時開館していたそうですが、浜松市と合併してから開館日を少なくしたとのこと、過疎化対策が叫ばれている現在、この町から働く所が無く出て行った多くの人の中にはサービス業の人も多く、ウィークデイでなければ休めない人も結構いると思います。こういう歴史的な資料や、文化遺産を、小さい時から子供や孫に見せておくことは自分達のルーツを知らしめる上でもとても大事なことですから、国を愛する、郷土を愛する心云々言うのなら裁判所でさえ問題にした、第2次世界大戦の象徴であった、日の丸を拝ませたり君が代を歌わせるよりもはるかに大事なことだと思います。国や郷土を愛すると言うこは、まず郷土の歴史を知ることから始まりますから、そのためには、郷土の歴史に触れさせる機会を多く作ることが何より肝要だと思います。

いかにお金を掛けずにそれをやるかが改善、改革であって、これでは改善、改革ではなく手抜きそのものです。そして、水窪町出身の子孫に郷土を愛する心を育み、水窪町に関心を寄せてくれた貴重な人たちをガッカリさせないためにも郷土の歴史を集体制した歴史民族資料館の常時開館をぜひ実現しないと、この町の損失がより大きくなると思います。それに来年はどっと団塊の世代の人達がウィークデイに各地を回りますから、水窪出身の人たちはもちろん、そうでない人も水窪を訪れると思いますから、早急に検討されたらと覆います。

この点長野県では今までご紹介した市町村では、人を置いているか、不在時にはここへ電話をくださいと言う掲示がしてあり、より多くの人に各地の郷土資料を解放しようとしていますし、写真も営利の目的でなければ撮影させてくれて歴史的資料の活用を推進しようとしています。水窪の人たちも浜松市に合併してしまったとは言え、大きいことは良いことだとばかりのことはありませんので自分達の地域活性化のためにどうすれば良いか提案していくことが大事だと思います。


常時開館するための方法ご提案
書いていて思い出しましたので、常時開館できるようになった事例をご紹介します。私は道の駅レポータとして各地を歩いていたのですが、長野県南部に平谷村と言う所がありまして、ここは、以前は、館内を見たい人は役場に電話をしてくださいと書いた紙が張ってあり、電話をして5分ぐらい待っていましたら役場の人が飛んできて、説明を聞きながら写真も撮らせてもらい満足して帰ってきたのですが、最近行って見ましたら、以前は別の所にあった商工会の事務所を、郷土資料館に移して、常時開館していて、家族連れの人たちで賑わっていました。同じようなことを水窪町でもやってもらえれば良いのではないかと思います。商工会でも、教育委員会でも、観光協会でも良いわけで、休日とか、特に説明して欲しいと言う時はボランティアの専門家に頼めばよいので、これならお金をかけず、子供の教育や、町を訪れた人々に対してのサービスができ町の活性化に、一番深いところから貢献できるのではないかと思います。

町の経済的活性化については、長野県の下條村では、自立の道を選ばれ、起債制限比率2.0%、実質公債費比率5.2%、生涯出生率は、直近の平成15年からの3カ年の数値では2.12人と言う所もあると、ブログサーフィンをしていて知りましたので一つの事例として明日ご紹介します。

とにかく英知を出して、農山村の維持を図らないと20年、30年先が非常に危険な状況になる可能性も有るとのことですから、今のうちから手を打っておいて欲しいと思います。以前お米不足となったとき、大慌てで、休耕田の再使用を検討しましたが、荒れきってしまったら開発に時間がかかると言うことと、農業後継者がいなくなってしまっていて、お米の作り方が忘れられてしまっているといった事態も予想されるのです。国家百年の計を考えるとはこう言うことも含めて考えることだと思いますがいかがなものでしょうか。

2006-09-26

小畑ここでも尹良親王の足跡、浜松市に要望提出

obata.jpg街のところどころに、地名の由来が記されており、ここでは昔、尹良親王が旗揚げをしたところとのこと。最初は御旗と言う名前だったとのことですが、恐れ多いと言うので、小畑と言うように変えたのだそうです。こんな地名があちらこちらにあるのですがこの後いくつかについて地図無しになりますがご紹介します。教育委員会の地図が使えれば、ぐっとわかりやすくなるのですが残念です。このところ納期が近づいた仕事がありまして、地図を自分で作っている時間が取れないのです。

なお、昨日、浜松市教育委員会にもっと手軽に資料を使わせてもらったり、歴史民族資料館の写真を撮らせてもらえれば水窪町のご紹介ができるので許認可業務の簡素化の要望をお願いしました。条例の改正が必要になるので、やってもらえるにしてもすぐには無理だと思いますので、今回のシリーズでには間に合わないと思いますが。長野県内の各市町村の場合は、担当さん係長さん課長さん次長さん等の判断でその場で認可してくれたので多分浜松市も同様に業務の簡素化を図ってくれると思います。それに細かいことまで本庁に判断を仰がないとことが進まないようでは、それこそ組織が肥大化して行く一方だと思います。

昨日、某大手車会社のディーラにお金の支払いに行って来たのですが、今までカードでの支払いができなくて額を聞いては銀行に行き引き出して支払っていたのです。とても厄介でカードを使えるように要望していたのですが、ようやく実現していました。やはり言ってみる価値はあったなと言う感じです。

2006-09-25

水窪湯便局、飯田市にもゆかりのある三頭火の詩

yuubinya.jpgまた水窪町のご紹介に戻ります。場所が前後しますが、商店街のかなり南よりに、水窪郵便局があり、その前に飯田市にもいくつか歌碑がある三頭火の歌が飾ってありました。詳しくはこれからご紹介します民族資料館で見てくださいとのことです。

この民族資料館、土日と祝日のみの開くとのことですので(実際には、教育委員会水窪分室に電話すれば、登録している説明員の方に来ていただける場合もあるようです。

どうしてもウィークデイしか行くことができないと言う方は事前にお電話で確かめられた方が良いと思います。また、館内撮影したい場合も教育委員会の許可が必要とのことですので、合わせてお願いしてください。

今のカメラは性能が良く筆記に比べ早いですし、家でパソコンで見ますと正確に再現できますので写真に収めたほうがより資料としては価値が有りますので。

私が思いますのに、町の資料にしても、歴史民俗館資料にしても写真で自由に宣伝させてもらえば、水窪町のためになると思うのですが、著作権の問題やら、悪用された時のことを心配されて利用・撮影申し込み、評価、採否決定、通知と言ういうことをされているようですが、ホームページやブログで使う場合、町の歴史や風景、歴史資料を個人の利益のためとか、意識的に悪用すると言うことは考えられないので、現地機関で簡単に許認可できるマニュアルを作り、「個人の利益のためには使ってはならないが、当町の利益につながる場合のみ使用・撮影を許可します(事例を挙げて)」と説明し、用紙に印かサインをもらう程度でも十分ではないかと思うのですがいかがでしょうか。

著作者に支払うお金に関していいますと、ホームページ、ブログに掲載した場合は、いくら支払うと言う取り決めを著作者としておいていただければ良いことだと思います。宣伝料に関して言いますと、私の場合ではカウント可能だけでも毎日1,900アクセス程度ありますから、1,500としましても、ダイレクトメールで1通100円として、1回で15万円相当の宣伝費が節約でき、もう20日間は宣伝しましたから、300万円相当の宣伝をさせていただいたわけです。そして読者は、コメントを頂いた方で見ますと日本中はもちろん、海外で働いていらっしゃる日本人の方々も懐かしく読んでいただいていることから、世界中に新聞、雑誌、放送を通じて宣伝していることと同じで、どこかを宣伝しようとしたらとても出来ることではありませんが、インターネットならではできることで、また、インターネットを使っているものからしますと、自分のためにすることではないのにあまり手間暇かけていられないと言うこともあります。こう言うことから、市で宣伝料として1回いくらと計算して著作者にお支払いしてもらえばどうかなと思うのです。時代に似合ったやり方を検討して欲しいと思います。

インターネットを使っていて、水窪町や、民族資料館を見た人ならだれしも水窪町を宣伝したくなると思いますが、インターネットを使かう人はせっかちで、手間のかかることは嫌がるのですが、こう言う人達に町を宣伝してもらえれば効果は前述したように大きいので浜松市教育委員会にメールで私の意見を出してみようと思います。

教育委員会水窪分室
電話:0539-82-0013

2006-09-24

かぐらの湯道の駅1周年記念日、飯田には猿庫の泉という名水百選の水もあります

sarukura.jpg水窪町の話から昨日は、早稲田地球感謝祭で龍淵寺様の世界的硬水観音霊水が配られたと言う話をしましたが、今日は、飯田にありますもう一つの名水、日本百名水の一つ、猿庫の泉をご紹介しようと思います。

昨日汲んでおいた猿庫の泉が無くなったので、車で5分ほどの所にある猿庫の泉に行って来たのですが、祝日と言うこともあり、下の駐車場には車が十数台、上には5分か10分に1台と言う割合で県外の方々を含め来られていたのですが、中には名水を求めて始めて来たと言う人達もいて、観音霊水の話しをしましたらメモを取って今度行こうと言っていました。南信州の宝は美味しい空気と、美味しいお水、二つのアルプスに囲まれた素晴らしい景観、今後これらをいかに活かせるか。これから難しい時代になると思いました。何しろ後20年から30年で今国内にあるほとんどの工業製品は、brics諸国に取られてしまい、今の国内の空洞化なんてレベルの話ではなくなることが予想されていますから、その時のためにもいかに自然豊かなこの大地を残しておくことが大事だなあと思いながら水を汲んできたのですが、今日の写真は私の後組んでいたご家族の写真をブログ掲載のお許しを頂いたのでご紹介します。こんな小さな頃から豊かな自然に触れていたら素晴らしい少女、乙女、青年、ご夫人に育っていくだろうなと思った次第です。なお、猿庫の泉その他の名水につきましては今後更に詳しくご紹介します。

なお今日は、龍淵寺様近くの南信濃かぐらの湯で道の駅登録1周年を記念して、10:00から16:00まで数々のイベントがあるそうです。詳しくは
アンバマイカホームページご参照ください。

猿庫の泉地図



2006-09-22

水窪商店街、尹良親王にちなんだ地名由来看板

yukiyosisinnou.jpg水窪祭のある商店街には先日の看板の次にこの看板がありました。水窪の町を時の都、京都に見立てて、いろいろの地名がつけられたのだそうです。更に詳しい資料として、水窪の文化財マップと言うものがありまして、郷土研究家の加藤定義先生に頂いたのですが、版権が浜松市教育委員会にあり、使用に関しましては教育委員会の許可が必要とのことで、浜松市教育委員会水窪分室をお訪ねし、許可のお願いをしたのですが、そこでは決済ができないので、文書を提出して市教育委員会の担当部門の判断が必要とのことで、インターネットになれている人間にとってはとても厄介に感じられますので、興味のある方は、資料名「水窪の文化財マップ」と言うA3サイズの資料を確か100円と郵送料を別途で送っていただくと手に入れることができると思います。この資料は極めて良くまとめられていて100円+郵送料で得られるとしますと、水窪町を知る上で貴重な資料だと思いますのでご損は無いと思います。

なお、尹良親王のことを写真では由機良親王とありますが、地元の郷土研究家の加藤定義先生によりますと、昔は読みと漢字がすべて一致するばかりではなく当て字で読みを一致させることがあったそうで読みは「ゆきよし」と読みます。

詳しくは、浜松市教育委員会水窪分室にお問合せください。
電話:0539-82-0013

2006-09-21

美空ひばり、川の流れのようにと、浜松市消防音楽隊

ongakutai.jpg演目の中に浜松市消防音楽隊のパレードがあり数枚パチリと撮ってきました。美空ひばりさんの「川の流れのように」という曲を繰り返していましたが、多くの皆さんが通りに出て手拍子を打っていました。飯田市消防隊にも音楽隊があるのかなあとインターネットで検索してみたところありました。一度も聞いた記憶が無いのですが、それだけ催し物に行ってないということでしょうか。公費で維持している音楽隊ですのでこういった各地の祭で元気付けてもらうのも良いかなと思いました。それに消防音楽隊ですから威勢が良く元気が出ますから良いですね。ただ思ったのは、川の流れのように、その時々の移り変わりに流されて大切な祖先が血のにじむ思い出作り上げてきた資産まで流してしまってはいけないなあと言うことです。

美空ひばりさんの公式サイトが唄入りでありました。


2006-09-20

忘れられてしまうのでしょうかこの街は、生き残る方法は

matinaka.jpg街の外れに近い所でこの町のご長老と思われる人にお話しをお聞きしました。昨日は衆議院議員の片山さつきさん、浜松市長、静岡県の偉い人(名前を失念してしまいました)等々が来られて大変盛り上がったそうです。しかし、いろいろのお話の中で、合併後の方がお客様が少なくなったというのです。一日に片手ぐらいと言うことです。そしてこのまま行けば、このお祭も、そして数々ある旧所名跡も忘れられていくのかなあと嘆いておられました。1日のお客様が50人か5人か詳しくはお聞きしませんでしたが、平成の大合併と、交付税の減額(このことで水窪町は浜松市と合併する道を選んだのだと思いますが)、それに郵政民営化、これらのことだけでもでこの町で働ける人は減少していると思いますから、人が増える要因があれば別ですが無ければ減る一方。

これから先どうやって人を増やすか、難しい問題だなあと思っていたのですが、今日このブログを書きながら新聞を見ていましたところ、9月19日、信濃毎日新聞の27面に「老後の住まい探し活況」と言う記事がありました。水窪町商工会のホームページにも、水窪ご出身の方がカメラライブを見てとても懐かしがっていました。そして今日使う写真を見てこれだと思いました。

税金の配分は、以前の全国均一の生活水準を維持すると言う方向から、人口に比例した配分に向けて動いていると言うことですから、法律の改正には大変なエネルギーが必要ですがこんなに多くの人が出身地水窪に愛着を持ってお祭に帰ってきていると言うことは、これからどっと出てくる団塊の世代の人に水窪に帰ってきてもらうというのが一番手っ取り早いのではないかと思ったわけです。全く水窪で生活したことの無い人にIターンで来てもらうより、はるかに早く水窪の町に溶け込めると思いますし、生活資金は十分とは行かなくても持っているわけですので、働く工場は無くとも何とかなりますし、街での消費も増加し、交付される税金も増え、その人たちからの税収もあり、たとえ十数年間の一時的な現象にしても町は潤うわけで、その間に次の手を考えればいいわけです。

Uターンした人たちの子供さんたちも年何回かは来るでしょうから、歳をとったら水窪で過ごしたいと言う子供さんも出てくると思います。それに、20年後完成予定の三遠南信道ができれば、すでに、先行しすぎた各種施設が生きてくる可能性もあります。とにかく人がいることが戦力であり、水窪の武器は素晴らしい山とマッチした町並景観と、美味しい空気、美味しいお水、人のつながり、それに歴史、武器を失わないように戦力を蓄えていけば先が見えてくるような気がしました。

まあこんなことはとっくに考えられて手を打っていられるとは思いますが、私の思い付きを記録に残しておくためあえて掲載させていただきました。

2006-09-19

大事にしたい古式ゆかしい八幡様の獅子舞

hatiman.jpg水窪町は152号線に沿った細長い町で、中央より少し南に水窪小学校に登っていく道があり、小学校の上に八幡神社があって、昔は2日今は1日かけて街を練り歩くのだそうですが、この行列の先頭を歩く獅子の頭を被った踊りは初めて見るものでたぶん皆様も見たことが無いと思いますのでご紹介します。先頭は笛を吹く二人の男性で、この後に、いろいろのものを持ったり、きんきらきんのお社を積んだ車を何人かのご老人が押し上げていました。確かにこれはご老人には荷が重過ぎると思いました。

この後、街の最南端まで行き、町の再北端までゆっくり歩いてお祭を楽しみながら帰ってきたのですが、老いも若きも皆それぞれに楽しんでいました。同級生の一団なのか、若い背広姿の男性は酔っ払って足がふらついていて祭り姿の粋な女性に手を引っ張られて「祭だ祭りだ今日はいくら飲んでも良いら」といいいながら気分最高と言った風情で歩いていました。私が羨ましいなあと言ったら、前を行く若い男性の一群に、この人(私)にも酒を出してくれと、言ってくれたのですが、残念ながら運転をしなければいけないのでお断りして先に行きました。いい雰囲気だと思いましたのは、このとき若い女性が恥ずかしがって手を離したので、今時手を離す女性はあまり見られませんので、まだまだ良いところが残っているなあと思ったことです。

素晴らしい水窪祭と平成の大合併、郵政民営化を考える

misakubomaturi.jpg2日間かけての仮想行列、夜の屋台引き回し、とても全部見れなかったのですが、垣間見ることができました。

昨日でこの1ヶ月間に4回水窪に足を運んだのですが、今までの静けさが嘘のようでした。お店の前に休憩用の長台を置いてあったお店のご主人にお聞きしたら、「昔は何も楽しみが無かったので、飲むために何かにかこつけてはお祭をしたものだ」とのこと、ですから「飲み始めると一人当たりの飲酒量は日本一で半端なものじゃあないよ」とのことでした。今年のこのお祭の会長さんのブログに7月から準備していると書いてありましたが大変ですねえと話しましたら、「昔は若い者がたくさんいたので、数日もあれば準備できたが、今では5、6人でやっているので長くかかるのだ」ということでした。出て行った人も大変ですがここに残った人も大変です。

それにしても今日は若い人が多いですねえとお聞きしたら、「お祭が3連休にあるので皆帰ってきているんだ、この町では若い者が働く場所が無いしね」とのこと。若い女性数人がお祭姿でお喋りをしていたので何気なく聞いていましたら、「私お祭大好き、帰って来てお祭に参加するのが楽しみなのよ」と言っていました。写真に写っている人たちも、土曜日に帰って来たんだと綱引きをしながら話し合っていました。これからはこういった面でこのお祭が役割を果していくのかなあなどと思いました。

このお祭の、本来の中心である八幡様のお神輿がお宮に帰って行くのが見られたので、お聞きしたら、「昔は2日かけて引き回し、1泊かけて戻ってきたものだが、人がいなくなってしまい、1日でも精一杯」とのこと。年寄りばかりでこの坂はきついよと言っていました。70歳も後半かなというご老人はこの後盛大なご慰労会のようなものがあり楽しそうに話してくれました。

若者の働ける場所の確保、この問題はどこの過疎地域でも共通した問題ですが、こう言う山奥の町や村に川崎や千葉のような大工場を作れば森林を背景とした景観、美味しい空気、美味しいお水、昔ながらのよい人間関係、みんな都会のようになってしまいます。やはり昔からあった資産を活用し、町起こし、村起こしを考える必要があり、さしせまって若者の働く場所としては、役場や、郵便局が考えられますが、平成の大合併、郵政民営化で若者の働く場所が少なくなってきています。泰阜村の村長のブログでは、政党助成金の半分でも過疎地域に回せばなんとかなると言っていますが、なにしろ働き手を都会に差し出したようなものですから、その恩恵の一部をこういった地域に還元させても罰は当たらないと思います。

また若者や、昔出て行った人達が帰ってきて、真に自立した町、村作りができるようになるまでの間、支援を続けないと、20年30年後、現在ある日本の工業が、ブリックス諸国に負けて、また、国際紛争に日本が巻き込まれ、40%を切った食料自給率のところに輸入ができなくなったなんてことになる最悪の事態を想定し、今から手を打っておくためにもこう言う援助が大事だと思いますが皆様いかがでしょうか。

こう言うことを考え、行動するためにも若者の力は必要で、けして感傷的に言っているわけではありません。

2006-09-17

車修理で水窪へ行けず、天竜峡へ、栃餅の小松屋さんの写真

komatuya.jpg早い昼ごはんを食べて、水窪祭カメラライブで様子を見ましたら、ようやく人通りも多くなり始め、そのうちに笛を先頭に仮装行列がやってきました。これから行けば3時までにはつけるというわけで家を出たのですが、前から車の異常音が出始めたので、峠の途中で立ち往生ということでは大変だとディーラーに行き見てもらいましたら、修理に1時間半ほどかかってしまい、これではだめだと明日行こうということにして、久し振りに天竜峡を見てこようと天竜峡に行ってきました。

メイン通りのお客様は10人くらい、取り壊し中のホテルあり、横のホテルも閉鎖していて、このホテルの対岸にあった大きなホテルは既に解体済み。もう昔のような団体さん目当ての大型ホテルは経営が不可能になってきているのかもしれないなあと思いました。天竜峡がどのように変っていくのか記録写真を撮るのもいいなと思い写真を撮ってきましたので、今後おいおいご紹介したいと思います。その後、何時もは通らない裏道、街中より少し外れた道を初めて歩いてみたのですが、こちらは今の若い人が喜びそうな往時を偲ぶ古い立派な家並みが在り、これはこちらの方も天竜峡散策の一つに加えた方が良さそうだと思いましたが、いわゆる居住区ですから皆さんのご了解を得られないと拙いし、難しいところがあるかなという感じでした。その他文永寺と言う、菊のご紋の入った屋根瓦を使ったお寺などもあり、上手に宣伝すれば多くの人に来ていただけるだけの観光資源はあるということが分かりました。

今日、水窪町に行こうと思いますが、水窪町に行かれたら町の木の栃を使った「栃餅」が、ご老人向けのお土産には喜ばれると思いますので、その一つ、明治神宮に献上という「小松屋製菓」さんの写真をご紹介します。

小松屋製菓さんホームページ

2006-09-16

今日は浜松市水窪祭、ライブあり、食の安全にかけるネットワークうるぎさん完売

今日、明日は水窪の静岡県浜松市の水窪町で北遠最大のお祭みさくぼ祭があります。私は2日間も仮装行列が続くようなお祭を見たことがありませんので是非見てみたいと行ってきます。ぜひ皆様も予定のつく方は行って見てみませんか。

見に行けない方は、水窪町の方がライブで見せてくれるそうですのでご紹介します。
水窪祭ライブカメラ

なお、「食の安全と美味しいお米2種類の通販、販売 ネットワークうるぎ」さん今年販売予定は完売、次は11月より販売予定とのことです。皆様ありがとうございました。長野県最南端に位置する売木村の活性化のため奮闘していますので今年もよろしくお願いします。
食の安全と美味しいお米2種類の通販、販売 ネットワークうるぎさんHP

2006-09-15

水窪町の巨木、名木、イチイガシ 押すな押すなの賑わい龍淵寺さまページ更新しました

itikasi.jpg昨日の階段を登りきった所に水窪小学校があります。この門の右手に静岡県指定天然記念物のイシイガシがあります。樹齢は700年とのことです。下から覗き上げますと、幹に穴があったりこの木の風貌から本当に風雪を耐えてきたということが実感されます。

水窪町が浜松市と合併になる前の町制70周年記念事業の一環として作られた、「みさくぼの巨木・名木ガイド」によりますと、巨木として40本、「名木」として30本が記載されており、それらの多くが水窪街と、152号線沿いにありますが、山道は途中がどうなっているか分かりませんので、回ってみたいという方は水窪町観光協会などで道の状況や、地図をもらって、できればガイド付きのツアーが計画があればそれに参加されて回られると良いと思います。心配なのは、平成の大合併により、今までこまめに作っていた町内や村内の観光マップ作成や、資料館などが人員整理などのため縮小傾向にありまして、入手できなくなっていることがありますので、欲しい方は事前に観光協会、教育委員会に確認されてから計画してください。

水窪町観光協会
住所:〒431-4101 浜松市 水窪町奥領家2950(水窪町商工会内)
電話:0539-87-0432

教育委員会水窪分室
電話:0539-82-0013

南信濃龍淵寺さまより写真をいただきました。押すな押すなの賑わいです。
南信濃 龍淵寺 不老の水 観音霊水 コントレックス、クールマイヨールを上回る名水

2006-09-14

生命線、塩の道を歩いてみます

sionomiti2.jpg一昨日の塩の道高札の横に、昔塩の道だったと言う所を整備して今は階段を作ってあります。この急坂を荷車に積んだ塩を運び上げるのは大変だったともいます。道沿いには昔は割烹料亭であったかもしれないというような立派な家もあり情緒があります。一番登りきった所に水窪小学校があり、塩の道はもう少し先まで続いています。水窪祭の時歩かれてみたらいかがでしょうか。

2006-09-13

北遠最大のお祭、水窪祭りご紹介9月16日

静岡県の北遠(水窪町、春野町、佐久間町、龍山町、旧天竜市)で最大言われているお祭、水窪祭りが開かれます。

このお祭の由来について、関係者各位にお聞きしたのですが、歴史的な記録が無く神社の祭として古くから行なわれてきたのに、仮装行列、その他の地区からも参加するようになりドンドン大きくなってきたとのことです。

今年の祭典会長、小松屋製菓 小松裕勤様のお話
水窪祭りの由来ですが、正直、私も詳しくはわかりません。
ただ、特徴としては、地域の人はもちろん、町外からも参加者がある「仮装行列」がメインの祭りです。
この、「仮装行列」はもう50年ほど続いていると聞いていますがそれも正確ではありません。
祭りに関しては水窪町の商工会が事務局を担当していますので、詳しくは商工会からお返事が来るかと思います。

水 窪 町 商 工 会  片桐 光治様のお話
詳しくは資料がないためわかりませんが、町内4地区(向市場・本町・神原・小
畑地区)の3社(春日神社、八幡神社・諏訪神社)の五穀豊穣を祈願したお祭り
です。いつから始まったかはわかりませんがかなり古くから行われています。
仮装は大正時代あたりから始まったようですが、大々的になったのは昭和30年
代後半くらいからのようです。
現在は9月の第3土日に開催日となっています。

水窪郷土史の研究者 加藤定義先生のお話
水窪街の八幡神社のお祭りとして昔から行われていたが、最初はお神輿を担いで回っていたのが、そのうちに頬に墨などを塗りみこしの後から踊りながらついていったのが、仮装行列に発展。次第に他の村々も参加するようになり、複数の神社のお祭になり今のように大きくなってきたとのこと。小さい頃は、お盆がすぎると、指折り数えてこの日が来るのを待っていたとのこと。街を出ている人たちもこの日が楽しみで、お盆より多くの人が帰って来て賑やかになるそうです。

このお祭の大きさが分かりますのは、2日間にわたる仮装行列の多さです。飯田市の夏祭り「りんごん」でも夕方6時から9時までで終わってしまいますからとてつもない多さの仮装行列があるわけです。

日本人に限らずどこでもお祭好きの人は多いのですが、私は終日2日間に渡ったお祭りというのは経験したことが無いのでぜひ1回は見ておきたいと行ってきます。皆様もこの機会に行けましたらどうでしょうか。いけない方にはインターネットライブが有るそうですのでどうぞ。

今年の水窪祭りご紹介のページです。

水窪祭を含めた水窪ホトギャラリーというページがありました。

2006-09-12

昼間から華やかな街だったという塩の道、水窪町

sionomiti.jpg先日の地図で③の位置に、写真のような高札があり、その昔塩の道、林業が盛んだった頃は商談で昼間から宴会が開かれ賑やかだったと書かれていました。この街を歩いてみますと確かに旅館や割烹料理店が多く時間とお金があったら数日この街に泊まって、各お店のお料理を味わって見たいものだと思いました。今月9月16日17日には、このあたりをお神輿と仮装行列が2日にわたりあるそうですのでぜひ行ってみたいものだと思います。ここを基点に昔の塩の道が復元されていまして明日写真をご紹介します。

2006-09-11

駐車禁止地帯のない水窪商店街の様子

syoutengai.jpg「みさくぼっち」で街の様子をお聞きして回り始めたのですが、説明番号と異なりますが、先に商店街の様子をご紹介します。バイパスが出来る前の水窪商店街は今も健在で残っています。昨日の地図写真では⑧の位置で撮った物です。昼間は人通りが少なくのんびりと歩くには良いところです。水窪街のいいところは、駐車禁止の道路標識が見えないことですが、お祭の時などは、指定された駐車場があるとのことですので指示に従って車を停めてくださいとのことです。また特徴は、この写真でも見られますように、街中がうねって適当にカーブしていますので単なる平坦地を区画した町とは雰囲気が違います。これでまたこの町が好きになりそうです。

2006-09-10

ついに来ました、軽食みさくぼっち、お婆さんの言うとおり

misakubotti.jpg先日の地図で②の場所です。最初に行った時は都合で行けなかったのですが、帰って来てインターネットで調べたところ独自のホームページは無いものの「
みさくぼっち」に関するグーグルで検索して見ますと400件以上ありこれはどうしても行って見なくてはと思っていたのです。お店は152号線バイパス沿いにあり、そんなに大きくは無いのですが、3人ぐらい先客がいてわたしたちの後、次から次へとお客様が入ってきて賑わい出しました。先ずお蕎麦を注文し出てくる前に加工済みのいなり寿司と芋田楽を食べてみましたらこれが美味しい。次にお蕎麦を食べてみたところ、柚子の入った七味唐辛子をかけて食べてたところこれもおいしく、食欲が進みもう一つ今度はうどんを食べたらもう少し頂きたくなり、インターネットにあった雑穀の混じったおにぎりを食べてようやく満足。とにかくおいしかったです。またこのお店の良い所は、親切。食事後これから行きたいところの様子をお聞きしたのですが、丁寧に教えてくれて、峠の道路情報などは電話で確認してくれて嬉しくなったので、お土産を買いお礼を言って次に行きました。次のところでもそうだったのですが、先日のお婆さん達といい、みさくぼっちの人達、次のお店の人、みなさん外部からのお客様に対して、観光の営業マンのようですごく気持ちの良い町です。それにきれいにしてあります。ゴミをついぞ見かけませんでした。これらは、天竜峡を始めとする南信州の観光地も見習わなければいけないと思ったしだいです。南信州の場合、私のように貧相の悪い人間が入っていくとじろりと眺め、買う気があるのか、いろいろ聞くと面倒だという感じで早く出て行ってくれといわんばかりの所が少なからずあり余計うれしくなってお金を使ってしまったというわけです。昨年、国土交通省の道路局長さんがきれいなトイレで用を済ますと気持が良くなり財布の紐もゆるむと言っていましたが同じようなことですね。この続きは数日後違うお店でも味わいましたのでご紹介します。

2006-09-09

みさくぼ路の里、街思いのお婆さんに感激

高根城駐車場より車で降りてきますと橋の(袂昨日の地図で①)左側に小さなお土産やさんがあり、一回目の帰り、妻が中を見ている間車の中で待っていまいしたら、お店から出てきたお婆さんにいろいろお聞きしている中、お昼はどうしたかと問われ、まだだと答えましたら、この近くのうどんとおぞばを食べさせてくれるお店を紹介してくれて、私は残念なことに塩分を取ってはいけない体なので食べに行かれないけれど、塩分が気になる人は汁は吸わずにうどんだけ食べれば良いよとのこと、中からでてきた奥さん方もとても丁寧で気持が良かったです。

この時は先を急いだのでそのお店にいかず、帰りに寄ってみたのですがお店は閉まっていてまた今度来たときということにしましたが、この橋のたもとのお土産やさんは、地元の栃で作った栃餅など売っていて皆様もし水窪を通られたら寄ってみてください。もしかしたら、この街思いの営業熱心なお婆様にお会いできるかも知れません。町民全員観光案内人という発想は最近多くなってきていますが、実際には見たことがありませんが、これからご紹介する人たちは皆さん同じでびっくりします。

今日は写真がありません。話に夢中になって写真を撮るのを忘れてしまいました。

2006-09-08

マロニエとオートキャンプ場もありゆったりとした水窪街

misakubomati.jpg1週間ほど前に始めていって好きになりそうだと書きましたが、その日のアクセスウが通常より多かったので、これはもう少し情報を仕入れより詳細にご紹介しようとまた行ってきました。今度は前回行けなかったマロニエオートキャンプ場、昔ながらの街中を歩き、先週は休みで入れなかった民族資料館にも行って、昼食は前回「私は塩分を取ってはいけない体から行けないけれどお昼にはいいよ」と老婆から勧められた「みさくぼっち」、「珍しい巨木」、明治神宮献上品を作るお土産やさん「小松屋製菓」にもよりたくさんの写真を撮ってきましたので、少しづつご紹介します。南信州へお越しの際は、マロニエが旧水窪町の町の木ということでそれを活かした栃餅お土産にお買い求めになり観光されると楽しみが一層増すと思います。私達も母が栃餅を大好きなので、買って帰り、昨日持って行ったら喜ばれて、一挙に4つも食べて、友達が来たので上げたらまた大喜びされたと電話がありました。今度の水窪祭にも行ってまた買ってこようと思います。帰りには兵越峠ではなく、初めて長野県の天龍村に通ずる林道天竜川線を通って来まして、阿南町の次にご紹介予定の天龍村のご紹介時には大変役立つ取材ができました。写真のNo.はこれからご紹介する時の順番です。

2006-09-07

家族でハイキングに、水窪 高根城公園の回り方

takanejyouannaizu3.jpg看板を見ますと森林浴にいいですよという趣旨で作られているようで、家族でお弁当を持ち1日かけて回られると良いようです。私達はこの日、天竜川河口まで行こうと思っていましたので、急な坂道を息を切らせて昇り降りしましたが、写真に黄色い矢印で記しましたような登り方をすればのんびりと回ることができると思います。

またたっぷりと時間のある方は、全域を家族で回られたら良い思い出になると思います。これから秋、紅葉のシーズンはいいと思います。かなり日光が強い日でも木の中を歩きますので水筒にお水をいれ飲みながら歩けば真夏でも熱中症などの心配も無いと思います。南信州にお越しの節は、ぜひこういった道中の旧所名跡を見ながらのんびりとお越し頂くのが良いかと思います。

2006-09-06

お万様が逃げた道を思い出させる曲輪より城外

takanejyouurate.jpg写真のような木立の中に道がありまして、気持が良くなること請け合いです。阿南町の権現城の道はもっと急で歩くのが大変ですが、ここは気楽に歩けます。その昔、尹良親王や武田信玄の部下たちが何を思い、何を語ってこの道を歩いたのだろうかなど、思いをめぐらしてみるのも良いのではないかと思います。なお、こうしてみますと、城址は古いものから順に歩きますと歴史の流れをつかんだり、後の時代の城の方がより研究されて作られていることが分かり良いと思いました。そしてこう言う歴史的なことは、一地域の話ではなく、広範な地域にわたっていますので、こう言うブログも将来ご紹介地域を広げ、まさに面としての観光ブログに仕上げていければ良いなと思う次第です。それとこの道を歩きますと、関氏最後の奥方が子供を連れて逃げ延びようとしたかも知れないお城の裏手の道と似ている所がありいろんなことが思い出されます。関氏の奥方が子供を連れて逃げ、途中で案内人に殺されその墓は天龍村にあるのですが、どのルートを通りそこまで辿り着いたかは滅びた関氏の親族がその後を引き継ぎ現在の後裔の方でもお聞きしたのですが回答は頂いていません。ボワーとしたところがあるのはまた趣があって良いと思います。

2006-09-05

武田流、掘り切りで隔てられた車輪の写真

horikiri.jpg斜め上から写真を撮れませんでしたのでうまく写っていないのですが、この写真は城外になる曲輪から本曲輪方向を撮ったものです。

曲輪と曲輪の間に45度の岩壁がいくつか作られていて、本曲輪に侵入するためにはこの堀切を下っては登り、下っては登りしなければならず、きわめて攻略が難しいとのことです。

平城なら、枡形と同じ役割りをさせるものですが、ただでさえ険しいこの地系に更にこのような防御施設を作らなければならなかった時代とはどのようなものであったか想像もできませんが、そういう荒々しい時代が現在を形作るうえで通らざるを得なかった歴史の必然性があるわけで思いをあちらこちらに飛ばせて見るのも「過去を知り現在を知り未来を考える」時必要なことと言われていますので、ぜひあちらこちらに足を運んでみてください。

私はこのブログを書くようになってから記事の収集であちらこちら見て回るようになりましたが、中途半端ですが家でごろごろしているよりははるかに多くのことを知ったりであったりしてつくづく良かったなあと思います。

2006-09-04

阿南町の権現城を思い出す、武田流高根城堀切

takanejyouzu.jpg城跡に立ち歩いてみますと、武田信玄が得意とする城作りの説明によりますと、岩の尾根をV字に掘り切りと言われる加工をし、本曲輪、堀、二曲輪、堀、三曲輪、堀、城外となっています。これを見て阿南町の関氏最後の城権現城の城跡を思い出しました。権現城は関氏が滅びたあと城として使われること無く風化してしまっているため、また尾根が岩山で、なかったため堀切がかなり崩れていて、高根城のようなくっきりしたものでは無かったのですが、それでもこれが掘りきりだとわかる形状が残っていました。権現城関氏はは武田信玄よりも前の人ですから、武田信玄もいろいろの城のつくりを研究しより強固な城造りに励んだのだなあと感慨を新たにしました。甲斐の国の一豪族が天下取りに挑むのですから余程研究熱心でなければ成し遂げられるわけも無いですし。なお、このことは、詳しい資料に基づいたものでないので違っているかもしれません。

2006-09-03

高根城にも尹良親王の伝説が

takanejyouyuisyo.jpg尹良親王につきましては下條村ご紹介時に少しお話しましたが、大鹿村に住んでいた南朝の宗良親王の皇子という人で、まだご紹介していないのですが、浪合に墓所がある親王です。極めて広範囲に活躍されたらしいのですが南朝、北朝時の覇権を巡り死闘を繰り返してきたようですが、今となってはそれらの戦がどのような価値が会ったのか歴史的に明らかにしてもらい、今後のために役立たせてほしいものだと思います。私が感じているのは、遠い京都、伊勢から多くの人が私達の住んでいる信州に来たことにより文化も持ち込んでくれたのでその影響は今でも続いていると言うことぐらいです。

2006-09-02

清内路ビレジャー通信来ました

takatoyasan.JPG第8号が8月31日配信されました。日が迫っていることが多いので今日ご紹介します。
なお、このビレジャー通信は、下記よりお申し込みいただきますと、直接配信されますのでぜひお申し込みをお薦めします。




┏ 清内路の山里から ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┣━┳━┳━┳━┳━┳━┓  ◆ビレッジャー通信◆ 8号
┃清┃内┃路┃く┃ら┃ぶ┃  清内路をみんなで楽しむために
┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━ 2006.8.31

 清内路ビレッジャーの皆様、お変わりございませんか。
 清内路の情報をお伝えするメールマガジン「清内路くらぶ」第8号をお送
りします。
 
 日本列島はまだまだ残暑厳しいところですが、ここ清内路村は、お盆を過
ぎた頃から、朝晩は大分涼しく、短い夏も終わり秋の準備が始まっている感
じがします。

 先般、ビレッジャーの皆様にアンケートをお願いしました。お忙しい中、
それぞれご協力いただきましたこと、心より感謝申し上げます。
 アンケートの結果につきましては、改めてその概要をご報告させていただ
きたいと思っています。


=INDEX===============================

●イベント情報
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
☆9月の清内路村のイベントのご案内
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<第4回高鳥屋山の山小屋整備のご案内>
<ひさかた御膳昼食会のご案内>
<第7回村民大運動会のご案内>
<「小谷村中谷郷をこの目で確かめよう」参加者募集のご案内>

●村の動向
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
☆あかね大根の増産に向けて
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

●リレーメール
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
☆民生課 牛山敦志です
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

●今月の一枚♪
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
☆高鳥屋山の山小屋整備
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

==================================
       



●イベント情報
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
☆9月の清内路村のイベントのご案内
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

<第4回高鳥屋山の山小屋整備のご案内>
 9月3日(日)に、第4回高鳥屋(たかとや)山の山小屋整備を行います。飯田市側

登山口まで車で移動し、標高1398mの高鳥屋山の山頂に山小屋を整備す
るものです。(役場集合 午前7時 帰りは山小屋整備の進捗状況次第?)
 若干、資材も荷揚げしますが、登りは休憩を入れながらも1時間ほどの
手頃?な登山です。
 山頂から、飯田市や阿智村が良く見え、爽快な気分が味わえますよ。
 お弁当と飲料水(多め)をご持参ください。
 8月20日の第3回目の様子は「今月の一枚」でご紹介します。
【佐藤義則】

<ひさかた御膳昼食会のご案内>
 村が主催している「旬の加工塾」では、女性メンバーを中心に地元食材の
有効利用や地産地消を進めるため、各方面から講師を招いた料理実習、先進
地視察を行っています。
 今回は、飯田市下久堅柿野沢地区を訪れ、郷土料理9品目からなる「ひさ
かた御膳」を味わいながら、柿野沢地区農業生産者組合の女性メンバーの皆
さんと交流を深めます。
 口コミで評判となり、全国各地から御膳を味わう人が訪れているとのこと。
 ビレッジャーの皆さんも参加してみてはいかがですか。
 期日:9月9日(土) 集合は10時30分 役場へ
                  【申し込みは総務振興課 池内まで】

<第7回村民大運動会のご案内>
 9月17日(日)に、第7回となる村民大運動会を清内路小学校の校庭で
午前8時30分から行います。参加していただける種目もありますので、
秋?の清内路を楽しみに、ご家族でドライブを兼ねてお越しいただければ
幸いです。【野村昌弘】

<「小谷村中谷郷をこの目で確かめよう」参加者募集のご案内>
 村が開催している「田舎の起業入門講座」。今回はその4回目として、村
おこしの先進地である小谷村中谷郷を視察します。
 小谷村中谷地区では「中谷郷が元気になる会」の皆さんが中心となり、荒
廃した棚田の整備、古民家の改修、農作業や自然体験の場を都会の人々に提
供し交流するなど、住民自身が地域を元気づけていこうと頑張っています。
また、国の「立ち上がる農山漁村有識者会議」のモデル農村にも選定されて
います。
 期日:9月23日(土) 集合は8時 役場へ
 【申し込みは総務振興課 池内まで】

 





●村の動向
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今回は「合併問題」や「中学校統合問題」はお休みです。でも、検討はずっ
と続いています。

☆あかね大根の増産
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 「あかねちゃん」(焼酎)が完売したことは、前にもお知らせしましたが、
その原材料となる「あかね大根」の生産量が少ないことが、今後の課題の一つ
となっていました。
 そこで、JA(農協)さんと協働して、あかね大根の増産を図ることとし、
村内2箇所で(若干ですが)遊休農地の整備を行う一方、あかね大根を栽培し
てみようという村民を募ったところ、18名の応募をいただき、栽培指導会も
開催しました。
 もうまもなく、秋播きの時期になりますので、少しでも増産ができればと期
待をしています。

 それと、第2回目の「焼酎学校」ですが、10月28日(土)の開催予定で、
これから準備を進めていきたいと考えています。
具体的な内容は、これからですが、名誉校長の日本ソムリエ協会常務理事の
高野豊さんにご出席いただき、楽しい「催し」にしたいと考えています。
 具体的な内容が決まり次第、ご連絡させていただきます。【桜井佑介】


●リレーメール
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
☆民生課 牛山敦志です。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ビレッジャーのみなさんはじめまして、民生課の牛山です。とても暑い日が
続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。今清内路は、日中は夏の暑さが
残り、朝夕は秋の気配を感じる涼しさです。秋になると様々な虫の鳴き声が聞
こえることと思います。
 
 「虫」といえば、この清内路村役場には虫がたくさんやってきます。蛾、
ハチ、アブ、ハエ、蚊、バッタ、コガネムシ、カメムシなどなど、なぜかたく
さん集まってきます。
夏には、村内で一番カブトムシの捕れる場所になっています。また、これら
の虫を狙ったカエル、クモ、ヘビもやってきます。

 夜遅くまで灯りがあることと、役場の窓に網戸が無いことで、虫はどんどん
事務所内に侵入してきます。翌朝は机の上が虫の死骸だらけです。昆虫が好き
な方はぜひお越しください。昆虫が嫌いな方も我慢して来てください。

 
●今月の一枚♪
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
☆高鳥屋山の山小屋整備
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 8月20日(日)は、第3回目の高鳥屋(たかとや)山の山小屋整備を行いました。
とても暑い日で、参加された方は汗びっしょり、本当にご苦労様でした。
そもそもこの企画は、飯田市と清内路村を結んでいた「清内路古道」の整備
の一環で、清内路村は下清内路区会の皆さんが、飯田市は山本地区の皆さんが
それぞれ参加され、また、県のコモンズ支援隊のメンバーと役場職員の総勢
40名を超える皆さん(写真で数えたら41名でしたが、当日は50名はいる
かなと思えるほど賑やかでした)が力を合わせて、木材やトタンや、チェーン
ソーやらを担いで山頂まで運び、精緻な図面もない中で、予定よりも大きな山
小屋を組み立てました。
 主な材料は、付近の木を切り倒して、皮を剥いで、丸太のまま使いましたが、
きっと都会の人はその手際の良さに感心したと思いますよ。
 山頂からは、近くは飯田市や阿智村が、また、遠くは南アルプスの山々が本
当に良く見え、疲れも吹き飛びました。【佐藤義則】



清内路村役場(ビレッジャー事務局)
〒395-0401 下伊那郡清内路村375番地1
電話:0265-46-2001 FAX:0265-46-2016
URL:清内路村
E-mail:info@seinaiji.jp

高鳥屋山作業記録のブログ

2006-09-01

水窪町高根城から見た水窪町、好きになりそう

misakubo.jpg水窪町の南部のほうに高根城に向かう道があり登って行きますと駐車場が用意してあります。ここに車を止め説明版を読み徒歩で上って行きますとこの風景が見られます。駐車場上は民家で駐車場がありませんので必ず指定の駐車場にとめてください。左右を山に挟まれた細長い町と、右手に斜面を開墾して畑にしたのどかな風景が見られます。実際農業に携わっている人達にはのどかなんて言っていられない大変さがあると思いますが。私たちのように山岳地帯に住んでいる者にとっても好きになりそうな風景でした。この城址に登ってくる道は、始めのうちは整備されているのですが途中から昔の道のままのような感じでこれがまた良いのです。昔の人もハアハア言いながら上って言ったのか名などと思いながら登っていきました。観光資源は手を入れるのを最小限にして、遠い昔をほのぼのと思い出せれるようにしておいた方が好まれると思います。せっかく昔を偲ぼうと行ったのにコンクリートで固められていては景観が台無しです。