お万様が逃げた道を思い出させる曲輪より城外
写真のような木立の中に道がありまして、気持が良くなること請け合いです。阿南町の権現城の道はもっと急で歩くのが大変ですが、ここは気楽に歩けます。その昔、尹良親王や武田信玄の部下たちが何を思い、何を語ってこの道を歩いたのだろうかなど、思いをめぐらしてみるのも良いのではないかと思います。なお、こうしてみますと、城址は古いものから順に歩きますと歴史の流れをつかんだり、後の時代の城の方がより研究されて作られていることが分かり良いと思いました。そしてこう言う歴史的なことは、一地域の話ではなく、広範な地域にわたっていますので、こう言うブログも将来ご紹介地域を広げ、まさに面としての観光ブログに仕上げていければ良いなと思う次第です。それとこの道を歩きますと、関氏最後の奥方が子供を連れて逃げ延びようとしたかも知れないお城の裏手の道と似ている所がありいろんなことが思い出されます。関氏の奥方が子供を連れて逃げ、途中で案内人に殺されその墓は天龍村にあるのですが、どのルートを通りそこまで辿り着いたかは滅びた関氏の親族がその後を引き継ぎ現在の後裔の方でもお聞きしたのですが回答は頂いていません。ボワーとしたところがあるのはまた趣があって良いと思います。
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