2006-09-04

阿南町の権現城を思い出す、武田流高根城堀切

takanejyouzu.jpg城跡に立ち歩いてみますと、武田信玄が得意とする城作りの説明によりますと、岩の尾根をV字に掘り切りと言われる加工をし、本曲輪、堀、二曲輪、堀、三曲輪、堀、城外となっています。これを見て阿南町の関氏最後の城権現城の城跡を思い出しました。権現城は関氏が滅びたあと城として使われること無く風化してしまっているため、また尾根が岩山で、なかったため堀切がかなり崩れていて、高根城のようなくっきりしたものでは無かったのですが、それでもこれが掘りきりだとわかる形状が残っていました。権現城関氏はは武田信玄よりも前の人ですから、武田信玄もいろいろの城のつくりを研究しより強固な城造りに励んだのだなあと感慨を新たにしました。甲斐の国の一豪族が天下取りに挑むのですから余程研究熱心でなければ成し遂げられるわけも無いですし。なお、このことは、詳しい資料に基づいたものでないので違っているかもしれません。