尹良親王にちなんだ地名と浪合ご陵墓の写真
今日は尹良親王のご陵墓がある浪合の観光案内がある日で、昨日、南信濃に仕事で行ってあちらこちら歩き回って疲れてしまったので寝坊してしまい、ブログの更新ができないまま出発時刻となり今頃(15:00)書くことになりました。前にも書きましたが、水窪の郷土研究家の加藤定義先生から教えていただいた折、この地名の由来については、水窪町史上巻に書いてあると教わり調べましたところ、水窪町を京都に見立て、数々の地名が今でも残っていて、今の小畑は御幡、大里は内裏、あしよう島、こん所、まん所、桃平、大津当等いくつもあり、のんびりと歩かれると良いと思います。なお、この尹良親王については、多くの歴史家から実在しなかったのではないかとの研究結果も出されているのですが、今日浪合村の元教育長、塩沢先生のお話ではこの点について、遠い過去の話であり、幾多の研究では尹良親王ではないかもしれないが、お名前不詳の宮様がこの地で命を落としたことは書かれており、浪合の住民は600年も前から尹良親王のお墓として守ってきたのであり、こうして、宮内庁のお墨付きももらいこれからも大事にお守りしていきたいと言うようなお話をしておられました。レコーダーを持って行きませんでしたので記憶で書いていますが大意はこのようなことだったと思います。今日の写真は、行く由親王のご陵墓の写真です。
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