忘れられてしまうのでしょうかこの街は、生き残る方法は
街の外れに近い所でこの町のご長老と思われる人にお話しをお聞きしました。昨日は衆議院議員の片山さつきさん、浜松市長、静岡県の偉い人(名前を失念してしまいました)等々が来られて大変盛り上がったそうです。しかし、いろいろのお話の中で、合併後の方がお客様が少なくなったというのです。一日に片手ぐらいと言うことです。そしてこのまま行けば、このお祭も、そして数々ある旧所名跡も忘れられていくのかなあと嘆いておられました。1日のお客様が50人か5人か詳しくはお聞きしませんでしたが、平成の大合併と、交付税の減額(このことで水窪町は浜松市と合併する道を選んだのだと思いますが)、それに郵政民営化、これらのことだけでもでこの町で働ける人は減少していると思いますから、人が増える要因があれば別ですが無ければ減る一方。これから先どうやって人を増やすか、難しい問題だなあと思っていたのですが、今日このブログを書きながら新聞を見ていましたところ、9月19日、信濃毎日新聞の27面に「老後の住まい探し活況」と言う記事がありました。水窪町商工会のホームページにも、水窪ご出身の方がカメラライブを見てとても懐かしがっていました。そして今日使う写真を見てこれだと思いました。
税金の配分は、以前の全国均一の生活水準を維持すると言う方向から、人口に比例した配分に向けて動いていると言うことですから、法律の改正には大変なエネルギーが必要ですがこんなに多くの人が出身地水窪に愛着を持ってお祭に帰ってきていると言うことは、これからどっと出てくる団塊の世代の人に水窪に帰ってきてもらうというのが一番手っ取り早いのではないかと思ったわけです。全く水窪で生活したことの無い人にIターンで来てもらうより、はるかに早く水窪の町に溶け込めると思いますし、生活資金は十分とは行かなくても持っているわけですので、働く工場は無くとも何とかなりますし、街での消費も増加し、交付される税金も増え、その人たちからの税収もあり、たとえ十数年間の一時的な現象にしても町は潤うわけで、その間に次の手を考えればいいわけです。
Uターンした人たちの子供さんたちも年何回かは来るでしょうから、歳をとったら水窪で過ごしたいと言う子供さんも出てくると思います。それに、20年後完成予定の三遠南信道ができれば、すでに、先行しすぎた各種施設が生きてくる可能性もあります。とにかく人がいることが戦力であり、水窪の武器は素晴らしい山とマッチした町並景観と、美味しい空気、美味しいお水、人のつながり、それに歴史、武器を失わないように戦力を蓄えていけば先が見えてくるような気がしました。
まあこんなことはとっくに考えられて手を打っていられるとは思いますが、私の思い付きを記録に残しておくためあえて掲載させていただきました。
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