2005-11-30

仁王関の箒木 

houkigi.jpg王関神社より更に下って行き、左手に登りますと、「箒木」と言う村指定の巨木があります。ここも個人所有の土地で、また、入っていく道もちょっとわかりません。村や南信州観光公社のツアーで引率してもらうといいと思います。説明看板によりますと、この木は下條氏が吉岡城を建てた、旧子の神神社の湯立ちの跡だと言うことです。うっそうと茂った周囲の雑木の間にあって異彩を放っています。推定樹齢600年(昭和60年に)とのことです。

2005-11-28

下條村南端、仁王関と王関社

ouzekisya.jpg

吉岡城址公園下の「ひさわ」の信号から151号線を更に南下し大きな吉岡城南大橋を越え、トンネルがありこの先が仁王関という所、この地名の由来を下條村史で調べたところ、昔流行病があって、吉岡地区に伝染してこないように仁王の面を境に祭ったところ、伝染を食い止められたとのこと。トンネルを出ると、小さな交差点があり左折れし注意深く左側を見ていくと王関社という神社があります。このお宮も江戸時代からあって、昔は規模も大きかったようですが今はこじんまりしたお宮になっています。地元の人にお聞きしたところ、産土神で特に村の文化財にも指定されていないとのことでしたが、下條村教育委員会作成の「下條歴史の散歩道」というマップにありましたのでご紹介しておきます。なお、ここも駐車場がありませんのでもし見られる場合は、神社前のお家にお断りして駐車してください。

ヤフー地図

2005-11-27

数百年先を見た下條氏、なめくりの滝

tisou.jpg昨日のカヌー乗り場に行く途中、少し入った所に、獅子岩公園となめくりの滝が有ります。カヌーの帰りでも、カヌーとは関係なく回られても良いと思います。説明看板の説明によりますと、このなめくりの滝は、人口の物だそうですが今では自然に溶け込み、大きな滝とのように見えます。この写真を撮った時期が、水田工作の終わった時期でしたので水は流れていませんでしたが、水田工作時期になりますと豪快な滝が見られると思います。1400年代に着手し、1690年代に200年以上かかり作って完成し、300年以上経った今でも大地を潤している重要な川ですが、後世に名を残す統治者は数百年の単位で先を見越して大事業を成す者であるということが実感できます。地層は第三紀層という、昔は海の底であったであろう所が多層になって見られます。獅子岩公園はなめくりの滝より少し下にありますが、獅子鼻の様な形をした大きな岩です。休憩所がありますのでゆっくり休むことができます。

ヤフー地図によるおよその位置

下條村商工会ブログに下條歌舞伎大人の部紹介有りました。

2005-11-26

カヌーも楽しめる下條

kanu-.jpgもうこれからは寒くてできませんが、11月4日ご紹介した地図で、吉岡城址公園下のひさわという信号を飯田方面から来た場合右折れし「カヌーなどで遊ぶ時」という方向に下って行きますと、大きな橋があり、(門島と言う所です)ヤフー地図でおよその位置ですが、180度回って天竜川に下っていく細い道があります。小さな駐車できる場所がありますので、そこに車を置きもう一台は温田という場所まで持って行き、カヌーの回収用に置いておき戻ってカヌーで下ります。または、折りたたみ式のかぬーの場合は、電車で門島まで行き、天竜川まで運び、温田までカヌーで下り、温田からは、電車で戻るということもできます。

このコースは、カナデアンカヌー、カヤック等でのんびり川下りをしたいという場合、お勧めですが、アウトドアーは何があるか分からない世界です。初めての時は、最低三人で下り、一人は指導者級の人が必要です。また、事前にセルフレスキュウできるようになっている必要があります。

実際、私の息子が、カヌーでは有名な某大学のカヌークラブに在籍していた人と下ったのですが、ちょっとバランスを崩した時、沈(転覆すること)してしまい難儀をしたようです。カヌーは天竜川のような所では木の葉のようなものですから、ちょっとしたことでひっくりかえってしまうことがあります。

一番良いのは、都会にはいくらでもある、カヌー教室のメンバーになり、引率してもらうことです。そうして、ダイナミックな自然を十分お楽しみいただきたいと思います。

11月4日地図へ


ヤフー地図

2005-11-25

間違いない子育て、下條村の下條歌舞伎


11月23日、下條村商工会様のブログで、下條歌舞伎の宣伝を見ましたので、下條村文化祭の一つである下條歌舞伎を見て来ました。中学生による子供歌舞伎というものをはじめてみました。あどけなさも残っていましたが、今の子供は成長が早いので、結構迫力がありました。今回の演目は、「大功記十段目 尼崎閑居の場」というもので、芝居のはじめに指導者の方から説明があり、脇に大型のOHPで芝居の進むのにあわせて説明が出てくるので、歌舞伎というものに疎い私でも意味をわかりながら楽しむことができました。そして思いましたことは、こういった古典を小さい時から味わっていれば、大きくなっても古典からいろいろのことを吸収する能力も育って、今問題になっているような間違った方向に走ってしまう人間は出にくいのではないかということです。私などは、歌舞伎というものを見たのが20歳も後半で、東京の歌舞伎座に妻のご両親が連れて行ってくれたのですが、訳がわからず居眠りをしてしまいました。飯田に来てからも、近くの麻績(おみ)神社で開かれた歌舞伎を1回見に行ったのですが、意味がわからず帰ってきてしまいました。大鹿村の歌舞伎にしても何故あんなに盛り上がるのかさっぱりわかりませんでしたが、今回のように、詳しく説明付なら私にもわかりました。こういった地芝居を絶やさないということは子供達の成長のためにも必要だと59歳になって初めて気がついたのですが、人がいなければ絶えてしまいます。下條村の場合、24日の下條村商工会のブログで見ましたら、若者向けの専用住宅を建設し、第9棟目建設が始まったそうです。問題は働く場所ですが、お隣の飯田市では最近新工場建設があったり、少しずつですが雇用も増えているようです。若者が定住できて、子育てをし、この地方が元気になっていけるなら言う事はありませんが、やはりこう言う条件が揃った所はそうはあるものではありませんから、とりあえずは面としての観光から入っていくという私の方針も必要なことかなと思い続けていって見ます。

下條村商工会ブログ


なお、第12回 三遠南信ふるさと歌舞伎大鹿大会が27日あります。これも見に行ってみようと思います。皆様もどうぞ。詳細は下記
大鹿村役場ホームページにてご覧ください。

2005-11-24

吉岡の巨樹 けや木の木

keyakinone.jpgここは、探すのに苦労しますし、知った人の案内がないと見るのは困難です。はやり、下條村か南信州観光公社のツアーで見に行ってください。私も何回か行ったのですが、ようやく入り口がわかるようになった所です。本当に自然の力強さ、樹齢も判らないくらい太い木です。下條村に住んでこの村の娘さんと結婚した叔父さんでも知らなかった木があります。地元の人でもこんな素晴らしい木が身近にあったとは知らなかったといっていました。近くにはこの木に劣らない檜もありました。

明日は、下條村の文化の日の中学生による下條歌舞伎をご紹介します。

2005-11-23

吉岡の巨木 カヤの木

kayanoki.jpgこのカヤの木は家の敷地内にありますが、道路から見ることが出来ます。間近で見たい場合はお家の人にお断りしてから見てください。今でも採取したカヤの実を灰汁抜きしていました。その昔は戦争で食糧難の時代、貴重な食料だったようです。インストラクターの先生がこれを炒って持って来られ、昔懐かしいお菓子だと頂きましたが、現在のように美味しいお菓子になれている私には大切な物との認識はありましたが余り美味しいものではありませんでした。しかしこれから先、いつ何時また食糧事情が悪くなり、何でも口に入るものは頂かなくてはならない時代が来るかもしれません。そういう時生き残れるのは、昔の食料困窮時代のことを知っている人だけでしょう。強く逞しく生きると言うことは、どんな事態になっても生きるための食料を確保できる知識を持っていることが必要ですが、口先ではどうにでも言えますがこれがなかなか。

2005-11-22

吉岡の銘木 サルスベリ

sarusuberi.jpg

吉岡城のあった地域には、銘木巨樹がいくつかあります。これからご紹介する樹は皆個人所有のもので、詳しくは樹の傍に寄って見ませんと判らないところが多かったり、ガイドなしではとても歩けない所ですが、一応こう言う所がありますと言うご紹介です。ぜひ、下條村、南信州観光公社等主催のガイド付きのツアーに参加されて、詳しく話を聞きながらまわられることをお勧めします。今日はサルスベリの樹をご紹介します。

天竜峡温泉ホテルHP一部更新しました。(アクセスページとリンクページ追加しました)

2005-11-21

原家の四脚門

sikyakumon.jpg

村の資料によると、戦国時代末期、武田信玄の西上の折、下條氏の旗本原氏が下條氏に代わり東三河の武士達と戦をして城を陥した功績により、武田信玄から下條氏に対し感状が送られ、これにより下條氏はそのお礼として原家に写真の四脚門と、槍一振り、武田信玄の感状を添えて送ったとのことで今も保存されているとのことです。なお、この門も個人所有の家の中にありますので見られる際には、道路からご覧になるか、よく見たいという場合は、家の人にお断りして見てください。
下條村や、南信州観光公社の主催する銘木・巨樹を見る会で一緒に歩きますと門前まで案内して頂けます。

この時代がどうなっているか調べるのには、長野県下伊那地方事務所商工雇用課様によって作成された、伊那谷年表2を見ると戦国時代の末期の様子が良く判ります。もし、この時代、武田信玄が病気で亡くなるということがなければ、この四脚門が立てられたのが1557年、武田信玄が病死したのが1573年、本能寺の変が1582年、下條氏が徳川家康傘下に入り、最終的に滅亡したのが1587年。本能寺の変以前に武田信玄が小田信長を倒していれば歴史は大きく変わっていたかもしれません。その時歴史は動いたと言うことがよく言われますが、一人の英雄の死が歴史を大きく左右した時代。もっとも、そのときの天下人がだれであろうと、家中の掌握がうまく出きていなければ、滅亡に追いやられるのは時間の問題と言うこともありますから、単純に下條氏の歴史が大きく変わっていたかどうかはなんともいえませんが。たいへん勉強になることだと思いました。

長野県下伊那地方事務所商工雇用課様作成
伊那谷年表2


下條村の下條歌舞伎が23日あります。詳細は、
下條村商工会ナビをご覧ください。

2005-11-20

昔を偲ぶ素晴らしい家

kouikiie.jpgこの近辺はお城の周りと言うこともあり、大きな家が数軒あります。ちょうど通りかかった時家の人が居たのでお断りして撮らせて頂きました。ブログでご紹介することも承諾頂きました。このお家は建て替えられたのか白壁ですが、薄いピンクがかった壁があったり、見て回るだけでも楽しいです。奥には柿が吊るしてあったり、庭先では胡桃を干してあったり農家の風情が伝わってきます。こう言う家並みがきっと観光には役立つのだろうと思いましたが、ここに住んでいる人たちとの関係が一つ問題になることもあり難しいなあなどとぶつぶつ言いながら回って見ました。

静岡県外の日本旅行は南信州へのページを作りました。

2005-11-19

大切にされて今も残る高札場

kousatuba.jpg昨日の柚子を見て道なりに歩いて来ますと、小さな交差点に出ます。左側に写真のような立て札が立っています。下條村のすごいところは、今も江戸時代から使っていた高札場を使っている等、必要なものは古いものでも活用している点です。この写真の横に掲示板がちゃんとありました。お知らせが書かれていて、機能していました。

2005-11-18

帰り道に柚子を見て

yuzu.jpg神社から帰りに左側に柚子がいっぱい見られます。下條村は柚子の取れるところで道の駅には柚子料理がおいてあります。のんびり美しい黄色の柚子を眺めて暫しぼんやりするのも忙しい日々を忘れるのには良いのではないかと思います。柚子料理は大変難しいとのことですので、お帰りに買って帰られご家族で楽しまれたら如何でしょうか。

2005-11-17

折り返し地点 子乃神社

nenokamijinjyanoki1.jpg

昨日の万葉集の歌碑を下って行きますと右手に古いお宮があります。大木が立っていたり、写真のような老木がありますのですぐ判ります。これらの木の説明は、年に何回かある銘木巨樹を見る会に参加されると説明を聞くことができます。この付近には地元に住んでいる人でも知らなかったと言う木がありますので、今後メールマガジンを発行しましたら、開催情報をお知らせしますからぜひそういう機会をご利用して頂きたいと思います。

2005-11-16

万葉集歌碑

mauyounouta2.jpg昨日ご紹介した万葉集の歌ですが、歌碑が作られました。この地の人はゆったりした時間の流れと、古いものを大変大事にしていてます。かといって、代議士を3人も輩出するなど、けして古いものだけに執着すると言うことはないのです。

2005-11-15

万葉集に歌われた菅野・荒野

masugata.jpg下條村教育委員会の資料をそのまま掲載します。

菅野荒野/菅野(すがの)は下條七野七原の一つで、平安時代信濃の歌枕になった「菅野荒野」の名残りの地である。千曲川の真砂、地名考、鎮西家文書がそれを伝えている。この地は、気候温暖で椿、桜の老木が一斉に開花し彩る。土地の産土神である子ノ神社は大国主命を祀り、
万葉集

「菅野なる菅野荒野にほととぎす鳴く声聞けば時すぎにけり」

の他源師直、鎌倉右大臣、加茂真渕の古歌八首を伝える。

この地域一帯を菅野というらしいのですが、12日の拡大地図で菅野と書いてある方向へは、車で行ってもいいのですが、お天気が良ければ徒歩でのんびり歩いていかれた方が良いと思います。城下であったため枡形の跡もあります。

2005-11-14

吉岡城址の城郭ともう一つのHP

yosiokajyouzumen.jpgいろいろのホームページを探してみたのですが、城郭に関するページを見つけ出すことができませんでしたので、私が写した2枚の写真をパノラマ加工したものをご紹介します。3脚なしで撮っているので、すっきりしていませんが、おおよその所はわかっていただけると思います。後方を、険しい山々で守り(少し下條村の役場主催のツアーで歩いたのですが、ほんとに険しいです)、サイドは川に囲まれ、これもまた険しい傾斜です。前方は天竜川、強固な要塞だったと思います。下條氏関係のホームページサーフィンをして見ますと、遠く平谷地方まで傘下に治めていたと言うことです。最後の代の康長という人は、家康から特別な扱いを受けて、家康の一字をもらい康長と名乗ったほどでしたが、いろいろのことがあって、最後は滅亡してしまいました。12代目だったそうですが、一つの家系をあらゆる状況に対処して乗り切り維持すると言うのは大変なことであろうということが偲ばれます。

インターネット内でも沢山のページがありましたが、もう一つご紹介します。より詳しくお知りになりたい方は、下記ホームページ、更に詳しくお知りになりたい方は、下條村や飯田市図書館に連休や、定年後は長期滞在、年金生活をこちらで過ごして頂き、地元の歴史研究者の方のお話をお聞きして調べて頂きたいと思います。

家紋ワールドの播磨屋さんの下條氏説明ページへ(リンクのご了解は頂きました)

2005-11-13

下條氏の歴史

yosiokajyousisetumei.jpg写真は読みずらいので申し訳ありませんが、何とか読める程度ですので、歴史の好きなお方はお読みください。なお、ほぼこの資料に沿って書かれたホームページがありましたので、ご紹介します。
12代に渡る家柄ですが、この資料を見るかぎりのほほんと続いてきたわけではなく、内部分裂による殺し合いあり、だまされて殺されたり、現在の極めて平和で穏健な下條村からは考えられない歴史があって現在があると言うこと、その他、家中を治める上で大切なこと等教えてくれているような気がします。やはり歴史を学び、現在を考え、未来を考えると言うことは大切なことであると思いました。大鹿村ご紹介しましたことを思い出しました。

著者のご了解を得てご紹介します。
写真の文面を、資料として載せているホームページ

大鹿村ご紹介で思い出したページへ

愛知県からの旅行にこの地方の季節情報追加しました

2005-11-12

吉岡城址公園まで

simojyoumap4.jpg阿弥陀如来像を拝観した後、車に戻り、南下します。大きな吉岡城北大橋と言う橋を渡った所に信号がありますので、そこを右折れします。地図のように上って行きますと、3差路に出ますのでここを右折れして国道151号線の上に掛かっている橋を渡り公園駐車場に付きます。ここが、下條氏の第6代から12代まで続いた城跡だと言うことです。5代目までは下條村の後ご説明する、隣の町「阿南町」の古城(ふるじょう)と言う所に城を構えていたと言うことです。この下條氏については、この後ご説明します。

2005-11-11

合原阿弥陀如来様を拝観する

butzou.jpg

下條村の資料によりますと、南信州では数少ない藤原期の仏像で、専門家により準国宝級の仏像とのこと。県宝に指定されています。室町時代初期から戦国時代末期にかけて、この地の豪族としてこの地方を治めた下條氏が帰依したことから堂の造営はそれ以前ということで、由緒ある仏像ですが、開僧者、または開基者は不明とのことです。左右には三十三観音が祭られています。

愛知県からの旅行一部更新しました。

2005-11-10

合原阿弥陀如来像まで

amidanyoraikanban.jpg神明社を見られた後、車に戻り、国道151号線を南下します。もしその前にガソリン給油をしていなかった場合、途中に11月4日掲載地図の47番、コスモ石油イタクニ下條店がありますので、ここで満タンにして南下しますと右手に「ショッピングヒサワ」、「東山」と言う看板がありますので、ここでどちらかに車を止め何がしかの物をお買いになり、阿弥陀如来像を拝観させて頂きたいので少し駐車さて欲しいとお願いし、徒歩で国道に沿って下って行きますと写真のような看板がたっています。写真に写っている小路を登り右折れし進みますとT字路に突き当たりますので、左方上方向に小さな普通の家があり、この中に阿弥陀如来様が祭られています。中に入るには、すぐ下の家に行き阿弥陀様を拝観したいので空けて頂きたい旨お願いし開けて貰ってください。


一昨日の「日本人の民族性」について頂いたコメントに更に詳細のご説明を頂きました。正(攻める)と負(守る)の性格という点から書かれています。面白くためになりました。これからのリーダーは両方を兼ね備えなくてはならず大変ですね。

頂いたコメントページへ

2005-11-09

今年の下條村の様子

TENRYU.jpg

今年の観光風景について、下條村商工会、役場の方から情報がありましたのでお知らせします。
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柿すだれですが、昨年から柿の生産において衛生面でとても厳しくなったため、
軒先での柿すだれはもしかしたら、見る機会が減ってしまうのでは・・・と思います。
どこのお宅でも柿専用のハウスがありまして、そこに柿を干してあります。
柿は始まったばかりですので、写真を撮られるようでしたら月末くらいからがいいのではないでしょうか?

紅葉は600mの親田地区は見頃。国道沿いは今週末くらいかもしれません。
昨日の雨と風で落ち葉がだいぶ落ちてしまいました。

飯田で写真撮影のベストポジション
ベストポジション・・・
人それぞれの価値観があるので難しいですね。村内をめぐっていただいて、その方がいいと思われたところがベストポジションではないでしょうか?

役場簿方から
写真のベストポジションは、紅葉でしたら、新井展望公園や、入登山神社周辺などは、紅葉が、今良いと思います。極楽峠パノラマパークも天気が良ければ良いかと思います。

あとは、収穫の秋ということで、親田高原のりんごの実る風景などは、いかがでしょうか。
天候が良ければ、南アルプスの山々をバックに林檎畑の撮影もできるかもしれません。

下條と泰阜村の境ですが、唐笠駅周辺の紅葉も結構良いです。県道64号線を泰阜方面に行くと、JR飯田線の唐笠駅つきます。駅の入口を過ぎて道の下に、鉄道と、天竜川が見える場所があり、そこの山も紅葉すると、紅葉、電車、天竜川という3つが写真に収められる場所があります。
秋の紅葉などでの写真ポジションはこのあたりがよいのでは、と思います。
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というメールを頂きましたので、例年美しい柿すだれのある、自宅の傍の農家を見に行きましたらハウスをしっかりビニールシートで囲ってあり中が見えませんでした。ですから今年からは、あの美しい柿すだれは見ることができなくなってしまったようです。残念。

また、写真のベストポジションと言うことでご紹介頂いた唐笠港(先日天竜川に観光船が着いた港の上)、に行って来ました。もう夕方であったので、日陰になっていて、こう言う所ですと言うご紹介しかできませんが、ご参考までに。いろいろのポスターに使われているところですが初めて場所を知りました。役場の方ありがとうございました。

2005-11-08

日本人の民族性、江戸時代からの神明社

sinmeisya.jpg11月6日掲載しました、「今も残している戦争の傷跡」に日本人の民族性についてのコメントを頂きました。なるほどと思いましたので投稿頂いた方の了承を得て今日皆様にご紹介いたします。ぜひ一読ください。
投稿頂いたブログへ


神明社ご紹介
役場の資料によりますと、この神社の祇園囃しが伝統芸能として村指定無形無形民族文化財となっているそうです。4月10日と10月10日が例祭となっているようですが、それらのことを知らずにこのブログを書く段になり、初めて神社を探しに行ったため囃しを見る機会を逃してしまいました。1836年(江戸時代の終りの頃から)屋台の中で笛、太鼓、三味線でお囃しをし、屋台獅子舞は、氏子が家を回って悪魔払いをする伝統芸能とのことです。神社を見ますと、江戸時代から現在まで引き継がれ、所々修理されきちんとしています。それだけにここの神社がこの地の人達に今でも愛され、精神的な支柱として大事にされているんだなあと感心しました。歴史の重みと言うものは無視できないものなのですね。頂いた上記ブログコメントと合わせ、考えるところ大だと思いました。

ここへの行き方ですが、先日の観光地図では、トンネルを出たすぐ左にあるように見えますが、実際はかなり離れています。軽自動車ならなんとか行けますが、徒歩で行った方が無難です。

ヤフー地図では

2005-11-07

今下條村は紅葉と柿すだれが見え始めたとのことです

回る順番としては、次が神明社ですが、読者の方から、柿すだれや、紅葉についてのご質問がありましたので、また、ちょうど下條村商工会様のブログにこれらに関する記事が出ていましたのでご紹介します。

柿すだれ、干し柿が始まったとのことです。


紅葉については


上の両方の地域についてはまだご紹介していませんが、一昨日のJAパークに入る手前の交差点を右折れして上に登っていきますと右側に下條村商工会と、その奥に役場が見えますのでどちらかで地図を頂き説明もしてもらい出かけられると良いと思います。

ヤフー地図で見ますと
柿すだれの位置


入登山神社のおよその位置


4日の地図の28番「東山」と42番「インテリアハウスさわだ」にはさまれた道を飯田方面から来られた場合は右折れし上って行きますと橋があり、渡った直後右に上っていく道がありますのでそこを道なりに上って行かれますと入登山神社に着きます。ここまで上がらないでも今度の土曜、日曜日には、下の方も紅葉まっさかりになっていること思います。ただ紅葉は天候に左右されるものですから、下條商工会ブログを確認してからお出かけ頂いた方が間違いないと思います。

下條村商工会ナビ


下條村のガソリンスタンドについて前回2ヶ所をご紹介しましたが、もう一ヶ所あることを下條村商工会様から教えていただいたのでご紹介します。47番コスモ石油イタクニ下條店です。

2005-11-06

今も残している戦争の傷跡

sensouato.jpg昨日の家の門扉を見せて頂いたら、写真のように扉に使った金具が剥ぎ取られていました。太平洋戦争の末期、鉄が不足して供出したものだとのことです。その後、数ヶ月で終戦となったとのことですが、いったいあの金具はどうなったのだろうとのことでした。小さい頃、生活に必要な最低限のものを残し、鍋釜、お寺の鐘まで戦争に使ったのだと言う話を聞いたことはありますが、ここまでしなければ戦えなかったとしたら、とうてい物量の豊富なアメリカに勝てるわけもないと今になれば子供でも判る理屈を、当時少数の人を除いた日本国中が戦争に突っ走ってしまったのが不思議です。日本人はぱっと咲いてぱっと散る桜が好きですが、一斉に燃え立ち同じ方向を向いて駆け出す習性を持った民族なのでしょうか。この金具の取れた跡を見てそんなことを考えました。

愛知県外旅行一部更新しました

2005-11-05

豊かな下條村を髣髴とさせる石崖

isigake.jpg駐車場から来た方向に戻り、昨日の地図で見事な石崖と言う地点に行きますと、昔は小さなお城だったのではないかと思うような石崖がみられます。巨木を見る会で始めてみた家ですが、先ずこの石崖に驚きました。聞くところによりますと、昔庄屋さんだったとのこと。大名も泊まったことのある家で、門も立派です。そういう家だけに、庭も大きく銘木があるわけですが、私たちが行った時は家主さんが不在で外からしか見ることはできませんでしたが、タラヨウと言う珍しい木がバスの中から見ることができました。門が開いている時は、形の良い香りの強い金木犀が見られます。何年か前までは裏山まで幕を張りお茶会などをしていたとのことです。下條村にはこういった昔をしのぶには良い家が沢山見られます。

2005-11-04

下條村を回る前に、ガソリン給油をお忘れなく

simojyoumap2.jpg唐笠港を見たら来た道を戻り、国道151号線を左折します。下條村は大きい村ですから途中ガソリンが切れたら大変です。少し行くと信号機がありその向こうに右手にJA下條給油所がありますので、ここで入れるか、トンネルをくぐり信号機を越えて更に南下すると、右側に、木綿屋給油所があります。ここで満タンにして回ってください。この近辺の見所を回るには、駐車場がありませんので、次の信号機を過ぎた所、右手に40番JAパークと言うスーパーがありますので、この駐車場をお借りし、何か購入し少し置かせて欲しいと頼めば快く置かせて頂けると思います。ガソリンスタンドの方に聞いてみるともっといい所を教えてくれるかもしれません。

愛知県外旅行には南信州へのブログ版を一部変えました

2005-11-03

優雅な天竜川下りの風景

harutenryugawa.jpg

今日は、天竜峡から下流の写真をご紹介します。リンクの写真より下流は、ダム湖になっていて流れはより緩やかで、カヌーなどでは下流から強い風が吹けば上流に押し戻されるくらいです。けれども、左右は絶壁で秘境と言うのにふさわしい風景です。ときどきトンネル続きの合間に電車の線路があって、よくぞ先人はこの渓谷に電車を走らせたものだと敬服します。この電車のお蔭で飯田や伊那は外部と大きく通じたのです。

天竜峡港


つつじ橋下


天竜峡渓谷を見る


天竜峡渓谷を抜けてからは長閑な風景になります。右下にはトンネルから出てくる電車が見えました。この写真は天竜川の上方向から写した写真です。

2005-11-02

優雅な天竜ライン下りのお勧め

toutyaku.jpg上の写真は、ライン下りの船が唐笠港に到着したところで、アヒルがお出迎えをしてくれます。この舟に乗るためには天竜峡までJR飯田線に乗らなくてはいけないのですが、乗車時間は9分料金180円、
またライン下りは約1時間、2,900円となっていますが、お泊りの施設か、観光案内所で割引券をもらえばお安くなると思います。

電車の時刻調べは、ヤフー路線情報


ライン遊船時刻表

2005-11-01

天竜川 唐笠港を見て市丸姉さんの唄を聴く

simojyoumap2.jpg下條温泉郷を出ましたら、国道152号線に出て左折れし、トンネルを抜けて少し下りますと3差路がありますので、左折し道なりに降りていきますと天竜川に出ます。橋を渡りまた左折し下っていきますとJR飯田線の唐笠と言う駅の上に出ます。小さな駐車場がありますので、ここに車を止めて、徒歩で27番の半崎亭というお店があり小休憩されても良いと思います。この下が天竜川ですがほとんど流れがありません。これは泰阜ダムといってダム湖になっているためです。ここで良いのは、上流の天竜峡港から船が着くたびに、市丸姉さんが歌った天龍峡小唄や、民謡などを拡声器を通じてですが峡谷に響かせて聞くことができることです。時間がある場合は、車をここに置き、電車で天竜峡まで行き、ライン下りをお楽しみ頂くと、私がカヌーで下ってきた時には水鳥の赤ちゃんが近寄ってきて可愛かったり、途中に屋台舟が浮かんでいて、お金があればそこで飲み物を買うことができたり、人が近寄れない渓谷で風の音と木の葉が風に吹かれてざわめく音、天を見れば澄み切った青空、まるで別天地にいるような気分です。日々の喧騒の中で時にはこういった自然の中に身を置くのも大事だと思わずに入られませんでした。