可愛い牛さんがいっぱい黒川牧場
さらに車を進めますと、黒川牧場に出ます。私達が行った日には左側の木陰に少し大きくなった子牛が強い日差しを避けていました。私の家では牛を飼っていましたので牛については可愛いと言う印象が強いです。大きな身体なのに、散歩に行った時などは後ろから付いてきて、綱を離すと道の草を食べていてもカーブで姿が見えなくなると走って追いついてくるのです。乳搾りもやりました。今では搾乳機がありますが、その頃は手絞りでした。そして年老いて乳が出なくなり売られていく時は涙を流して動こうとしませんでした。家中で泣いたものです。本当に牛は人になつき可愛い動物です。そんな思い出が蘇りました。高い所には成牛が群れを成していました。ぜひ子供さんに見せてあげて欲しいなと言う所です。
昨日、大鹿村が
日本で最も美しい村と言うことを書きましたが、その大鹿村様がブログで各お店の宣伝を自分達でしようという動きがあるとのお知らせを頂き嬉しくなりました。ブログも作られていましたのでご紹介します。
田舎暮らし&soho lifeです。
また、その方のブログで知ったのですが、「
日本で最も美しい村・・・」と言うトラックバックがあり拝見したところ、女性の視点から書かれていて私とは全く違った雰囲気のブログでした。同じ大鹿村のことを書いていても人が違えばこうも違うものかと勉強になりました。ご紹介します。
日本で最も美しい村・・・10月16日には、大鹿歌舞伎秋の定期公演会があり、紅葉もちょうど見ごろになりそうだとのこと、中央構造線博物館、ろくべん館、その下の村や町ではりんご狩りのシーズンです。一泊2日でお越し頂いても時間が足りなくなるくらいです。この機会にぜひ大鹿村へどうぞ。
天空の道を通り黒川牧場へ
昨日の歌碑からほぼ水平に前進すると左手に伊那山脈、その向こうには中央アルプスがそびえ、一回目に通った時は夕方と言うこともあり、怖くなってきて、地図では道があるもののナビゲータでは道がこの先で途切れていて、君子危うきに近寄らずだよと言うわけで引き返してしまいました。家に帰りもう一回地図を広げて見ましたらやはりどの地図を見てもアルプスの中を道が通っています。数週間後に、実際自分で通ったことの無い道をご紹介するのは危険だと行ってきました。今度は天気の良い日の午前中だったので道はよく見え伊那山脈も中央アルプスもくっきり見えまさに天空の道だと気持ちよく前進しました。途中しらびそなどが見られました。
昨日大鹿村中央構造線博物館学芸員の方から頂いたメールに、大鹿村は「
日本で最も美しい村」連合に認められたと言うことが書いてありました。なるほどと納得できる村です。インターネットで「日本で最も美しい村」と検索するとたくさん出てきますので是非見てください。
更に登っていくと岩清水
青いけしの花の農園を更に登っていきますと、舗装が途中で切れますが大丈夫でした。急斜面を切り崩したような道ですが、雨風の強い日でなければ崩れ無いと思いますがビガーハウスで確認された後で登られたほうが良いでしょう。登っていきますと小さな水の見場があります。岩の中からしみでてくる水で、小さな歌碑もありました。
蘭ミュージアム・高森に久し振りに行ってきました。岩崎ちひろ展が10月にあるそうです。
ヒマラヤの青いけしの花、燃える大鹿村
大池からさらに登っていきますと青いけしの花の看板が見えます。此花は標高1500mでないと咲かない花だそうで、お花の好きな方は名前はご存知の人が多いのですが、どこに咲いているか実際行かれた方は少ないのではと思います。何しろ地元にすんでいる私達でもどこか大鹿村の高い所にあると言う認識しか持っていませんでした。大池止まりの方が多いと思います。そこまで辿り着くのも一仕事ですから。この花は6月中旬が見どころとのことで私達が行った時は見れませんでした。今日の写真はレストハウスおい菜にある看板の写真です。
大鹿村が燃えている
大鹿村のこれからの観光情報です。
大鹿村観光情報宿泊情報:下記ページは大鹿村宿泊施設一覧です。お泊り先はお好みの施設へ直接お電話してお申し込みください。
大鹿村宿泊施設一覧あおぞら市あおぞら市の次回スケジュールが入っていなかったので以前責任者様から頂いたメールから抜書きしました。詳細は上記ページよりご確認ください。
10月は定例歌舞伎公演があり10月23日(日)とのことです。
通常は
毎月第3日曜日
時間 8:30~10:30です。
冬季間などは行いません。
場所
開催場所ビガーハウス
大鹿村 大池
昨日の看板を少し登ると、林の中の右手下に大池が見えます。見えた位置から大池に入ろうとするとボヤがいっぱいあるので入りずらいと思います。もしかしたら私が気がつかなかっただけで、1本くらい道があったかもしれません。
大鹿村七不思議の一つ 大池
来た道を更に登って行くと、大池の説明看板があります。ここで車を降りて池に行くと言う方法もあります。看板にひずめの跡があると書いてありますが、実際そっくりです。天気が良ければ気持ちが良いので歩いて見に行ってください。
レストハウスおい菜からの散策コース
今日はレストハウスの前に立てられている看板からトリミングした写真をご紹介します。写真の地図の散策コースは、大きな木に囲まれ整備された遊歩道の落ち葉の上を歩きます。とても気持がいいです。のんびり話しながら歩けば一周1時間ぐらいでしたか。時間の経つのも忘れてしまいました。池の中央まで木で作った橋があり、飯田に住んでいる私達でもうっとりとする風景でした。いわゆる揉まれた風景で無い所が良いと思います。また、キャンプする場合でも調理場は整備されていて、トイレも美しく、子供達のためにロープアスレチィックもあります。
龍淵寺だより389号 掲載しました。
かざこしサイトブログホームページ農業部門追加しました。
大鹿村 大池キャンプ場
レストハウスおい菜の後ろに整備された大池キャンプ場があります。テントを張って自分達でお料理をして、人を気にしないで大きな声で歌を歌い一時自然の中で戯れる時間を持てます。大鹿村にはそのほかにもキャンプ場がいくつかあり大自然の中の自分を味わえるいいところです。子供さんたちをぜひ山や海でのびのびと遊ばせて上げる必要があると思います。家族で来ても良し、親類中でもご近所の人たち、少し大きくなったら友人と青年になったら、アルプス登山の途中休憩地として。
大鹿村のパラグライダー
レストハウスおい菜の前にパラグライダー場があります。私は高所恐怖症なのでこういう高い所をパラグライダーで乗ろうとはユメユメ考えたことはありませんが時々しか行かないのに、行った時はたいがい誰かが飛んでいます。気持は良いかも知れませんが、風向きが変わり落ちたらどうするの?などと考えてしまいます。でもたくさんの愛好家、これから愛好家になる人もいることですのでご紹介します。下記のページは大鹿村産業建設課様作製ページです。乗る前に申請許可など必要のようですので興味のある方はご覧ください。
パラグライダーに乗りたい方はそのほか「大鹿村 パラグライダー」で検索しますとたくさんの人のホームページを拝見できました。時間の許す方はご覧頂ければと思います。
レストハウス おい菜の付近の風景1
レストハウスおい菜は、大池高原の入り口にありここを拠点に歩かれると良いと思います。この周りの風景については私もいっぱい写真を採ったのですが、下記の大鹿村役場で撮られた写真の方がよほど良く取れていましてご紹介します。私はレストハウスと周りの施設をご紹介します。今日は、レストハウスおい菜そのものをご紹介します。
また、インターネットで調べていましたら、ここを訪れた人が撮ったレストハウスの蕎麦の写真がありましたのでご紹介します。食べ道楽の人が載せてくれているほどですから、私が美味いというだけでないことがお分かりいただけると思います。
大鹿村役場産業建設課様撮影写真、昨年の写真のようです。
レストハウスの大鹿蕎麦、インターネットで調べますと他の人も評価は高いです。上から4番目です。
大池高原 レストハウス おい菜で一休み
逆さ銀杏を見た後、更に上がっていきますと右手に写真の看板が見えます。右折れしてここで一休みされるといいと思います。コヒー、時間によっては食事、ここの山菜をたっぷり使ったお天ぷら蕎麦は何回行っても飽きません。当たり前のことですが、天ぷらは油を使いますから、少量でも長くお腹が持ちます。お休みの日などはご家族連れの人が多く、和やかな雰囲気です。眼前にはパラグライダー場が広がり雄大な景色をお楽しみいただけます。
大池高原 レストハウス おい菜で一休み
逆さ銀杏を見た後、更に上がっていきますと右手に写真の看板が見えます。右折れしてここで一休みされるといいと思います。コヒー、時間によっては食事、ここの山菜をたっぷり使ったお天ぷら蕎麦は何回行っても飽きません。当たり前のことですが、天ぷらは油を使いますから、少量でも長くお腹が持ちます。お休みの日などはご家族連れの人が多く、和やかな雰囲気です。眼前にはパラグライダー場が広がり雄大な景色をお楽しみいただけます。
大鹿村の村名由来と鹿が塩をなめる話
宣伝のため同じ内容で18のブログを作っていますが、ある方から
「大鹿村って、山に塩が出ていて、それを鹿が舐めにくるんですよね。」と言うお問い合わせを頂き、早速大鹿村のろくべん館様に問い合わせを入れましたところ、大鹿村の地名の由来と、鹿がなめているものについてのご返事を頂きましたのでご紹介します。
ろくべん館管理者様からのご返事大鹿村は、大河原村と鹿塩村が明治時代に合併して、大鹿村となりました。塩が出るのは鹿塩の方です。
塩といっても、岩塩の鉱脈があるのではなく、塩水が湧き出しています。鹿塩には塩のつく地名が多く、塩畑、塩川、満塩、小塩、大塩、孫塩などがあり、その付近の湧水からは塩分が検出されます。最も濃度の高いのは、やはり鹿塩鉱泉として宿の作られている付近の塩泉のようです。
また鹿塩の地名の由来ですが、伝説としていろいろと残っています。一つは建御名方命が塩水を発見し、鹿狩りをされた後、その塩水で鹿肉を調理したので、『鹿塩』という地名がついたという説があります。(この説からは、諏訪族との関わりが古くからあったのではないかということが考えられています。)その他にも、弘法大師によって発見されたという説、それから傷を負った鹿が塩泉に浸かっているのを見て、村人がその水を沸かすようになったという話などがあります。
そこに鹿が舐めにくるというのはあまり聞きませんが、大鹿の中でよく鹿が舐めているのは、剥き出しになった崖の土です。中央構造線博物館の学芸員の話では、構造線の露頭によく舐めにくるそうで、何を舐めているかというと、粘土だそうです。しかも堆積してできた粘土ではなく、断層粘土とのこと。よくわかりませんが、その中に含まれるミネラル分を摂取するためなのでしょう。堆積粘土と断層粘土では含有する物質が違うようです。ちなみに学芸員も舐めてみたところ、あまり塩分は感じられなかったようです。
以上ですご返事ありがとうございました。私も何かの本で、鹿が岩塩をなめると言う話を読んだことがあり、てっきり大鹿村の鹿だと思っていました。お問い合わせを頂いたおかげで私も正確なことを知ることができました。お二人様ありがとうございました。
逆さ銀杏のある圓通殿
昨日の逆さ銀杏のあるお堂は旧所名跡には載っていないのですが美しいお堂で、昔はこの辺に沢山の人が住んでいたのかこれだけの物を建てた人たちの気魄と言いますか、宗教に対する信念に驚きました。歌舞伎場も最大時確か13あったという話で、それに神社と大変なお金がかかったことと思います。南信州をあちらこちら回っていますが、一山村でこれだけの建物があるところは珍しいです。
弘法大師と逆さ銀杏
説明看板によりますと、昔弘法大師が諸国行脚の時この地を通り、杖をさして立ち去った。この木が大きくなったと伝えられているそうです。写真を見ていただくとお分かりいただけますが人と比べるとその大きさが分かって頂けると思います。この写真は昨年末飯田市の勉強会で撮影した物です。冬に近い時期でしたので葉が落ちていて樹形がはっきり分かります。火災・落雷等の災禍にあい、根本の部分が残っているのみですが、枝が下方にたれ下がり逆になっているように見えます。
かざこしサイト ブログHP少し前進しました。
ろくべん館様からのご回答続き
昨日に続きろくべん館管理者様から、梨花の舞の由来について一報を頂きましたのでご紹介します。
梨花の舞の由来さて、梨花の舞ですが、これは右馬ノ允の女将さんである前島重子さんが、創作されたものとのことです。彼女はもともとダンスをやっていた方だと思いますが、日舞もやられるようです。最初、この梨花の祭が始まった頃は、前島さんが自ら踊っていたそうですが、何年か経ってから他の方にバトンタッチしました。
とのことでした。ありがとうございました。
右馬ノ允は(うまのじょう)と読むそうです。江戸時代の官役名だそうですがいろいろの古文書が残っていてそれらを基にした勉強会もありました。行ったことがないのでインターネットで調べましたら、女将さんの投稿記事がありましたのでご紹介します。「大鹿村 前島」で検索しますといっぱい情報があります。時間の許す方は一読頂ければ幸いです。妻は勉強会で会ったそうですが非常に感じの良い方だったとのことです。ぜひ彼女の創作した梨花の舞を来年は見に行きたくなりました。
前島重子さんの一文旅舎 右馬ノ允ご案内、上から3番目にあります。
宿泊した人の日記もありました。真ん中辺です。
大鹿村ろくべん館様からのご回答、二人がかりのキノコ
昨日のブログに、御柱はどうして7年に1回やるのかというお問い合わせと、その前に、梨花の舞とは宗良親王の梨花集にちなんだ物かと言うお問い合わせがあり、ろくべん館管理者様に回答をお願いしたところ回答いただきましたのでご紹介します。
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以下頂いたご回答です。信濃宮の祭を『梨花の祭』と呼ぶようになったのは、平成元年からのことだそうです。呼び名の由来はやはり、宗良親王の編纂された「梨花集」から取ったものです。梨花の舞も、その時から始まったものではないかと思うのですが、これはもう一度確かめてから連絡します。
御柱ですが、7年に1回といいますが、実際は寅年と申年に行われています。6年間立っていた柱を7年目に新しくするので、7年に1回ということでしょうか。
こんなところでお答えになりましたか?***************************************
以上でした。ありがとうございました。是非皆様お越しください。
なお、同じ大鹿村で昨日妻が大鹿村出身のご友人と大鹿村で二人がかりでないと持てない大きな舞茸を採ってきました。ご紹介します。何においてもすごい所です。夕食に天ぷらにして頂きました。美味しかったです。皆様にもお分けしたかったですが・・・・。
龍淵寺様だより 388号掲載しました。
葦原神社 歌舞伎舞台
昨日ご紹介した葦原神社の道を隔てた所に葦原神社歌舞伎舞台があります。この舞台がこの山奥のひっそりとした所にあるのにびっくりしました。ここは、7年に一回の御柱祭の折りに上演されるのだそうです。私は歌舞伎に詳しくないので良く分かりませんが、有名なのか全国の歌舞伎場、演劇場リストに載っていました。またこの資料で知ったのですが、先にご紹介した大磧神社とこの他に野々宮神社、市場神社と4つが今も残っています。本当に大鹿村の人たちは歌舞伎が好きだったのだと思います。その流れをついで今でも盛大に村を上げて引き継いでいます。小さい頃にこういったことに触れていたら私も楽しみが増え、より充実した人生の終盤を生きられたのになあと残念です。このつたないブログをお読み頂いている皆さんに子供さんがいられるようでしたら、是非小さい時が大事ですので連れてきて見せてあげてください。
芝居小屋リンク集へかざこしサイトブログのホームページ作り始めました
葦原神社方向へ向かう
夜泣き他を見ましたら次は谷を隔てた鹿塩地区に向かいます。車に戻りそのまま前進しますと長い下り坂があり、小さな其を渡りますと国道152号線に出ます。葦原神社に向かいますが、いくつかの行き方があり、小型乗用車で、運転に自信のある方は地図の赤線の行き方で大丈夫です。大きめの車とかマイクロバスですと遠回りになりますが青い線に沿って上られた方が無難です。赤い線の道は、対向車が来た場合避けあいしなければなりませんので危険です。青い線の場合は距離としては長めになりますが、私達の行った時に小鹿を見ました。カメラを取り辛い位置に置いたため出そうとしているうちに小鹿はどこかに行ってしまいました。ですからカメラは常に取り出せる位置においておく事が大事です。分かりずらいかもしれませんが、この時は近所に居る人に聞きますと親切に教えてくれます。
大鹿・役場産業建設課様作成地図
大鹿村で焼肉ハウスを自作する
もうひとつ感心したのは、炭焼き小屋とミツバチの巣の近くに、自作の焼肉ハウスがあることです。全部手作りで、柱は取替え後の電柱をどうせ捨てる物だからと貰い受け加工して使ったとのことでした。このハウスで、親戚の人や村の人と桜を見ながら宴会をするそうで楽しいとのことでした。何から何まで感心することしきりでした
大鹿村でミツバチを飼う
先のお家では炭を焼き野菜は自家栽培、肉は山で取れたイノシシの肉(これは私の想像ですが)もう一つ忘れていましたが、蜂蜜も自分で作っているとのことでした。器用であればほとんど自分で何から何まで作り余裕のある生活ができます。私は器用でなく、こまめに動く方ではないので無理ですが、がむしゃらに定年まで働いて老後はこういうところで悠々自適に生活してみたいと思う人は多いと思います。もしこのブログを見ていただいている方でご自分もこんな余生を送りたいなと思われた方は、ぜひ若い時から南信州に足を運ばれ、あちらこちらを見て回ってください。ブログを作り初めて5ヶ月たちましたが、まだ3つの村しかご紹介できていません。いままでの十倍以上ご紹介しますので、ぜひ数回来て頂ければ誇張した宣伝でないことが分かって頂けると思います。
少し外れて天竜峡IC天竜峡花の里
今日はご紹介の筋道から少し外れますが、先日天竜峡温泉観光協会事務局長様から今建設中の天竜峡インターチェンジ(平成19年完成予定)横に3ヘクタールの
花の里を作っていて、今年は初めてなので蕎麦を作り、今
白い花が真っ盛りだという話をして頂いたので、1昨日見に行ってきました。天竜峡温泉観光協会様のホームページを見たら2ヘクタールとありましたがいずれにしましても大変大きなお花畑で、近くでは全景が写らないので高い所に登り写してきました。今年はこれで終りとのことですが、来年から四季折々のお花を計画しているとのことですので皆様にご紹介します。
花の里写真へ天竜峡観光協会様ホームページ龍淵寺様だより387号掲載しました。
夜泣き松を見るときの駐車と付近の家
この道は普通乗用車で行くと対面交通に苦労するほど狭い道で、昼間ですと私達が何回か行った時は対向車に出あわすことはなかったのですが、万が一と言うこともありますからこの松が見えたら少し前進し、大きなカーブがあり、そこに中央構造線の説明看板が左側にありますので、極力左側に止めて戻り細い道ですが登っていきます。この時、電策が張ってあることがありますので注意してください。民家が左手上方向に在りますので、人がいたら通電していないことを確認されると先ず間違いはないです。(たいがい昼間は電源を落としているものですが)私がお伺いした時、ちょうど居られて、この松を見る一番良いところや(写真に撮ると電線があってあまり良くなかったですが、実際見ますと電線が気にならず綺麗でした。ミツバチも飼っていたり、自家用の炭焼きもご自分でされていたり、桜見物用の焼肉小屋をご自分で立てたりと、悠々自適な生活をなされていました。良いところですねといいましたら、なにが良いものか不便だと言っておられましたが、人間らしく生きるには良い所だと思いますよと言ったらそれはそうだとおっしゃられていました。人によっては本当によだれが出るようなところです。
天に栄える銘木夜泣き松
夕立神パノラマ公園を出て余裕のある方はその奥まで行ってみてください。私は行ったことがないので、どうだったかぜひこのブログに書き込んでいただけると幸いです。今日は戻ります。下ってきて信濃宮から来た道とぶつかりますのでそこを右に曲がり道なりに行きますと、右手上方向に天に栄える姿の美しい松が見えます。大鹿村に伝わる民話では、南北朝時代、南朝の宗良親王がこの地に住まわれることになった時、城主香坂高宗の計らいでつけた女性が赤ちゃんを産んだのですが、夜泣きがひどくこの松の葉を枕元に置くと夜泣きがとまり、その後この地方の夜泣きのひどい子供の枕元にこの松の葉を置くようになったそうです。
長野県下伊那地方事務所商工雇用課様作成ホームページにより詳細にまた美しい写真がありましたのでご紹介します。
夜泣き松のご紹介
始めまして
寂れ行く長野県の天竜峡を中心とした南信州と木曽南部の宣伝を最大時13のブログで今年4月から始めましたが、好調でしたのでより多くの皆様にご紹介し、多くの皆様に天竜峡や南信州のことを知ってもらい遊びに来ていただきたいと思います。
ブログ活用総括ページへまた、天竜峡は点や線としての観光地だけででなく、面としての観光地の要素を持っていますので長期滞在、コンドミニアム、年金生活等にも適しています。昨年9月それに対応した天竜峡温泉ホテルが生まれ、面としての観光の拠点になれば広く南信州、木曽南部のためにもなると無料でご支援をしています。今後ともよろしくお願いします。
天竜峡温泉ホテルご紹介明日からご紹介します。今までのブログは
過去のブログはこちらよりお入りください。