2007-06-05

だました人が悪いのか、だまされた方が悪いのか

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一昨日の青年の話では、今のような政権を選んできたのは国民だ。国民に責任が有るというのですが、戦後国民は働くだけに必死であり、国政のことはほとんど放送やマスコミの情報で判断するしかなかった。会社員なら会社の選挙方針に従わなければ冷や飯を食わされる。農山魚村なら地域のボスの意向に従わなければ村八分。けれども実際問題が起これば何とかしてくれた。まあ良いかという判断で今まで来たのだと思います。

ほとんど多くの国民は自分で情報を掴んで自分で判断できる状況ではなかった。今になれば、その結果として昨日のデータのように、世の中に失望した自殺者はグングン増え、食料事情もどうなるか判らないような事態になり、憲法もまたもと来た道に逆戻りしそうな勢い。

ちょっと気になったので犯罪件数はどうなっているかインターネットで調べてみたのですが、これもうなぎ上りに増えていて、社会が平和な安定していくという方向とは逆の方向に向かっていることを物語っています。戦後の倍以上に犯罪件数は増えているのです。

繊細な若者ならこう言う事態の推移に腹を立て、こう言う動きを許してきた大人を罵るのはやむ得ないことかもしれません。

けれども今の政権を選んできた多くの国民に腹を立てたところで、問題は解決しないでしょう。結果的には騙され続けてきたということですが、太平洋戦争で多くの国民は時の政権により戦争に参加させられました。命令で自分が正しいと思う思わないに関わらず、兵隊になるしかなかった。戦後民主主義になったという政治でも、情報は上から発せられ、会社や地域のボスの指示に従わなければ生きていけなかったわけですから、昔の兵隊さんと事情は同じようなものだと思います。

そこで思いましたのが、それじゃこれからどうするか。定年退職した団塊の世代の人なら、会社のしがらみも無くなり、地域に帰っても地域のボスともしがらみが少なく、比較的自由に動けるし、退職金や年金で食べるだけなら何とかなりそうだし、現役の時パソコンやインターネット活用はお手の物だし、人生経験は豊かだし、精神的にも体力的にもまだまだ大丈夫。世直しに一働きも二働きもできる年代だと思ったわけです。

自殺しなくてもすむ社会、犯罪が少なく安心して暮らせる社会、そうすれば若者が悲観したり厭世的になるのではなく希望を持って生きていかれる社会の実現もより可能になるのではないかなと思うのです。いかがなものでしょうか。

犯罪件数の推移
法務総合研究所 研究部ホームページより

今日の写真は、飯田市のお隣、喬木村伊久間と言う所の荒廃して行く畑をお花畑にして多くの人に楽しんでいたこうと言う試みの写真です。明日から数日この地域のご紹介をします。

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