下條氏最後の人建立、関昌寺お堂と由来
観音様を拝観した後、戻ってきますとお堂が見え大きな駐車場がありますのでそこに車を停め、お堂などを見ます。阿南町誌によりますと、関昌寺を建立したのは、下條村でご紹介したこの地の豪族、下條家最後の下條康長(幼名牛千代丸)が、織田攻めの折三州黒瀬と言う所で早逝した父信正の三回忌の時建立。信正の法名(一無祖関居士)の関を取り、代々繁昌すべしと昌を付け、関昌寺としたとのことです。このお寺は末寺七か寺を持っていて郡内屈指の大事であったということです。
下條氏は、この下條康長を最後に、家臣の対立を家康に巧みに利用されて、十二代二百年余も阿南地方に大きな足跡を残した下條氏も滅亡したとのことです。
阿南町ホームページをご覧頂くとよりわかりやすく書かれています。
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